「強さ」の時代に抗して

信仰の人として,同時代に警鐘を鳴らす.日本社会の右傾化を,イエスの視座から問う.状況への発言.

「強さ」の時代に抗して
著者 荒井 献
ジャンル 書籍 > 単行本 > 宗教
刊行日 2005/02/24
ISBN 9784000013987
Cコード 0014
体裁 四六 ・ 上製 ・ 266頁
在庫 品切れ
信仰の人として,同時代に警鐘を鳴らす.イラク派兵,国旗・国歌法制定など現れた日本社会の右傾化を,イエスに拠って立つ目の位置から問う.渦中にあった60年代末大学闘争の記録,韓国民主化闘争に発したメッセージ,フミニスト神学からの告発と応答――戦後史,もう1つの証言.社会思想としてのキリスト教の原点へ.

■著者からのメッセージ

この度,岩波書店の勧めで上梓する運びとなった二著には,過去四十数年にわたる研究・教育生活の間に,折りにふれて公にした随筆,諸集会における講演,教会や大学チャペルにおける説教が収められている.
 機会は,クリスマスや復活祭などの礼拝,またなんらかの問題提起の意図をもった集会などであり,思い起こせばそのつど発言する立場が違い,聴き手も異なっていた.それに応じて調子を変え,また角度をずらして話をしたはずである.ところが,いま改めて本書を構成している記録の全体を通読してみて思うことは,それなりに一貫している,ということである.もちろん,蛙が象の真似はできないのだからこれは当然であろう.しかしあえて言うならば,どこで話したことも煮詰めてゆけば,二つほどの太い筋に集約できる,という気がしてきたのである.
 我が田に水を引くようで気がひけるのだが,この思いを一言で言えば,『イエスと出会う』が「『あきらめる』ということ」という文章で始まり,「皆ちりから出て,皆ちりに帰る」という文章で閉じられていることに現れているように,「あきらめ」が私の人生観の基にあるのかもしれない,というささやかな発見であった.言い添えれば,ここで言う「あきらめ」とは決して消極的な意味をもつばかりではない.むしろそれは,「イエスと出会う」ということが,不可避性を「あきらか」にすると同時に,それを超えて生きる力ともなるという,私自身においてとった生の形であるとも言えそうなのである.そして全体を貫く太い文脈の二つ目は,「出会い」という知・信の経験に基づき,この間支配的になりつつある,「強さ」を志向する時代的趨勢に抗して,「弱いときにこそ強い」(『コリント人への第二の手紙』12章10節)ことを懲りずに主張し続けてきたのだ,ということの確認である.
 折りおりの出来事が,そこで出会った人々の表情とともに蘇って,通読しながらなにがしかの感慨なしとしなかった.

■編集部からのメッセージ

『イエスと出会う』:説教・講演・エッセイ集=私の道.
『「強さ」の時代に抗して』:説教・講演・エッセイ集=同時代への発言

 60年代末から2000年代初頭まで,おりおりの説教・講演と,身辺の出来事を綴られたエッセイを,二冊に集成しました.
 荒井献著作集(全10巻別巻1,2001年6月~2002年6月刊)の発刊のおり,記録されていた説教・講演のすべてを,ほこりを払って出していただいたのがきっかけとなりました.
 ありました.そこには,事にあたって訴えるべきことと日々の思いとを,聴き手に率直に語りかけた言葉が記されていました.お仕事の中心をなす聖書学の論文とは異なった語り口の,またそれでいて飾りも無駄もない,まぎれもなく荒井献の文体で綴られた記録でした.
 著作集では,第9巻『聖書を生きる』と第10巻『同時代へ』の二巻に,他のエッセイとともに収録されています.今回の二著は,その後の説教・講演を加え,さらに精選・再編してなったものです.
 『イエスと出会う』は,信仰をもって生きるとはどういうことか,いつも聖書に立ち帰りながらそのつどの出来事にどのように対処されたか,が全体の基調になっています.古里の忘れ難い面影,教会での,そして研究の場でのめぐり逢い,教会での数々のエピソード……「イエスとの出会い」,すなわち〈信〉に貫かれた人と思想のうかがえるエッセイ集です.
 『「強さ」の時代に抗して』は,20世紀も末葉の四半世紀を,同時代の支配的な傾向と一貫して批判的に向き合われた生き方の記録です.60年代末の大学闘争への主体的な関与,韓国民主化闘争に果たした役割,フェミニスト神学への真摯な応答の努力……「弱いときにこそ強い」,聖書の言葉を拠り所として生きられた戦後の情況への一つの証言がここにあります.
【編集部 中川和夫】
プロローグ
 
剣をさやに納めなさい
日本の今とキリスト者の課題
キリスト教のシンボルとしての十字架とその本来的意味
「罪人」と共に
和解の創造
宿営の外に
新約聖書の人間観――Imago Deiをふまえて

I  弱いときにこそ
 
  一 イエスと現代
――「強さ」志向の時代に抗して――
  二 キリスト教は寛容でありえたか
――イエスと原始キリスト教の視点から――
 

はじめに――「寛容」と「非寛容」
1 イエスの寛容と十字架の出来事
2 原始キリスト教の場合
3 ルカ福音書二二章36節の影響史
おわりに
  三 イエス・キリストと私
 

はじめに
1 「イエスを語る」とは
2 私とイエス――生い立ちと出会い
3 聖書の学問的研究と大学闘争
4 イエスの視座――吉本隆明『最後の親鸞』との類比
5 最後のイエスと私
質疑応答
  四 イエスの出来事が示すものは何か
――隣人との交わりを支えるもの――
  五 教会に生きる
  六 何を待って生くべきか
――アドベントにあたって――
  七 神の都と地上の都
 

  同時代への発言
 
1 隣人の苦しみ
  イエスの視座から韓国・日本の現状を考える
  その者を見よ!――『金冠のイエス』を観劇して
  「共苦」の想像力具体化を――韓国にいる政治犯救済のために
  想像力を――「隣人になる」方向へ
2 「強さ」志向の時代に
  弱いときにこそ強い
  無責任性の象徴としての天皇制
  責任ある「私」となるために
  蛇と鳩

ハプニング
 
「無事」への疑問
連合赤軍事件に思う

II 闘いの中で

 
一 共に「子」となる努力を

 
1 クリスチャン・ラディカルズ
2 史的イエス
3 原点に
4 自己を相対化する「子」
5 自己否定のために
6 「大人」が「子」となり,「子供」が「子」となる
7 もはや奴隷ではなく
二 キリスト教主義大学の存立は可能か

1 学院闘争の問いの中で
2 青学大キリスト教の実体
3 福音と大学
4 イデオロギーとしての福音
5 青学大から神学科が消えるとき
三 「建学の精神」としての「キリスト教主義」
――「大磯事件」(1964年)と「大学闘争」(1968―69年)を中心に――

 
1 いわゆる「大磯事件」
2 いわゆる「大学闘争」
四 大学の「理念」批判の視座によせて
五 付加価値と存在価値
――大学教育の社会的責任によせて――

 
1 所有価値から存在価値へ
2 「付加価値」と大学の社会的責任
3 「存在価値」と大学の社会的責任

あとがき
初出一覧
荒井 献(あらい・ささぐ)
1930年生まれ.専攻,新約聖書学.東京大学・恵泉女学園大学名誉教授.
著書 : 『原始キリスト教とグノーシス主義』(岩波書店,1971),
『イエスとその時代』(岩波新書,1974),
『新約聖書とグノーシス主義』(岩波書店,1986),
『新約聖書の女性観』(岩波書店,1988),
『トマスによる福音書』(講談社,1994),
『問いかけるイエス』(NHK出版,1994),
『聖書のなかの差別と共生』(岩波書店,1999),
『イエス・キリスト』上・下(講談社,2001),
荒井献著作集全10巻別巻1(2001年6月―2002年6月).
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