原爆体験と戦後日本

記憶の形成と継承

原爆被害者はどのようにして「被爆者」になったのか.その戦後史を辿り,体験や記憶の継承の可能性を考える.

原爆体験と戦後日本
著者 直野 章子
ジャンル 書籍 > 単行本 > 歴史
刊行日 2015/07/24
ISBN 9784000610582
Cコード 0021
体裁 四六 ・ 上製 ・ 290頁
定価 3,520円
在庫 在庫あり
1945年8月に広島と長崎で原爆の被害を受け生き延びた人々は,医科学,法制度,社会・平和運動などの様々な言説群に媒介されながら「被爆者」として主体化していった.その中で何が原爆体験として記憶され,あるいは忘却されていったのか.被爆者たちの戦後史をたどりながら,かれらの体験や記憶の継承の可能性を考える.

■著者からのメッセージ

本書の冒頭で,戦争体験の継承という問題設定の前提が若い世代には共有されておらず,体験世代が世を去るとともに体験は風化してしまう可能性が高いと示唆した.しかし,継承すべき体験が何であるのかを今一度考えてみることで,別の可能性が開けてくる.
 現在まで,被爆体験は被爆者の所有物であるという前提で議論が進められてきた.だから,被爆者の高齢化によって体験の風化が加速すると懸念されてきたのである.しかし,原爆被爆体験も被爆者という主体性も戦後日本における言説活動の所産であり,原爆被爆体験は被爆者の所有物では必ずしもないことは,本書で示してきた通りである.
 さらに,「被爆体験の継承」という問題意識のもとで語られる「被爆体験」とは,原爆に遭った体験そのものではない.当たり前だといわれるかもしれないが,そうだろうか.原爆の被害に遭うという体験を他の誰にもさせないためにこそ「被爆体験の継承」がうたわれてきた.つまり,「被爆体験の継承」といわれるときの「被爆体験」とは,被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない」という信念を導き出した,その体験を指す言葉だといえる.そうだとすると,「被爆体験」は被爆者とその同伴者とによって形成されたものだということになる.つまり,継承されるべき「被爆体験」は,被爆者と被爆者でない者との共同作業の果実なのであり,被爆者から非被爆者に受け継がれるべきものでは,そもそもないのである.「被爆体験の継承」とは,被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次代に引き継ぐことを指すのである.
――「終章」より
直野章子(なおの あきこ)
九州大学大学院比較社会文化研究院准教授.2002年,カリフォルニア大学サンタクルーズ校にて社会学博士号取得.主要著作に,『被ばくと補償――広島,長崎,そして福島』(平凡社新書),『「原爆の絵」と出会う――込められた想いに耳を澄まして』(岩波ブックレット),Toward a Sociology of Trace(共著,University of Minnesota Press),『戦後日本における市民意識の形成――戦争体験の世代間継承』(共著,慶應義塾大学出版会),『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』(共監修・解説,岩波書店),『ヒロシマ・アメリカ――原爆展をめぐって』(渓水社,第3回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞)など.

書評情報

UP 2016年2月号
図書新聞 2016年1月1日号
週刊読書人 2015年12月18日号
女性情報 2015年11月号
東京新聞(朝刊) 2015年10月11日
しんぶん赤旗 2015年9月27日
被団協 2015年9月6日号
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