中国民族主義の神話
人種・身体・ジェンダー
進化論と優生思想,国民化とジェンダー….多様な問題群から読み解く,共時性としての中国近代.
社会進化論と優生思想,民族主義と人種主義,身体の国民化とジェンダー….近代世界が非対称的ながら等しく直面した問題群を,中国はどう経験し,自らの近代を彫琢していったのか.梁啓超・譚嗣同・章炳麟らの思想家,女性教育家,科学者,「纏足」廃止論者などのテキストを縦横に読み解き,中国の近代を広く共時性のなかから描きだす.
■著者からのメッセージ
今世紀の中国が日本にとってもより大きな存在となるだろうという予測がたつ今なお、不変の「中華思想」という、むしろ日本側の固定観念によって中国は語られがちだ。それは、なにかしら異質な文化に遭遇すると、自文化を特権化するのと表裏するかたちで、いとも簡単に、理解不能な「他者」として特殊化することに通じている。その危険性は、異文化をもつものへの自らの無知を「野蛮」「ならず者」視に転化し、そうした国や民族に対する「民主化」や「解放」の名による武力侵略への批判力をもたない思潮に、アメリカを中心として、日本を含む世界のそこかしこが覆われているのを見ても明らかだろう。このような困境から脱するための思想的な試みにおいても、中国の近代を共時において理解しようとすることがそのよき練習問題となりうるのではないか。
たとえば今世紀のアフガニスタンやイラクへの侵略戦争でも、戦果に「抑圧されたムスリム女性の解放」がしばしばあげられた。市民にとってはまずは生命と暮らしあっての「解放」であることをさしおいているところに問題があるのはいうまでもない。女性に宗教的理由をつけて課せられた不自由については、当の女性たちが主体となってあるべき解放をいずれ勝ちとるだろうとしても、その存在が国・民族の「野蛮」性の象徴とされ、「開化」の戦争の正当化に利用されている。この点が、少なくとも数百年は盛行した中国の纏足女性の近代における「解放」問題を連想させる。外からの纏足「解放」のプロセスは、「国恥」と目され、「落伍の足」と卑下した女性の肉体的精神的苦痛に満ちたものであった。
短期的にみれば、「優勝劣敗」で野蛮が淘汰されるとする社会進化論を底流にもつ、西欧発のある種のグローバル化。それが近代の顔のひとつであるとして、内部矛盾を醸成した長い王朝時代の歴史性を背負う世紀後半以降の中国は、西欧と大規模な遭遇をし、端的には西欧とその後追いをはかった日本からの「開化」の名による侵略に苦しみ抗する一方、アジア近隣地域間における不均衡ながらも双行的な思想連鎖の一環節として、西欧の受容・消化もはかって近代を形成してきた。
そこに時代の課題としてひときわ濃く浮かび上がったのは「保国」「保種」のための民族主義であった。それは華夷思想とは似て非なる近代人種概念の流布と重なり、日本ともども黄白人種史観を含んだし、社会進化論さらに身体を含めた女性の国民化、女性解放思想とも関連した「科学」的優生思想等々の問題群とも交差した。そういう意味で、西欧・日本と「はなから異なる」中国近代の姿があったわけではない。なかでもアジアにおける近代の問題の共有にむきあってこそ、日本の侵略戦争の重さと、とるべき責任をより深刻に思想化しうる契機があると思う。男性史に傾きがちな中国思想史の研究に女性史を加えるかたちではなく、ジェンダー化するための試みに込めた以上のような問題意識を、拙著からいささかでも汲み取っていただければ幸いです。
■著者からのメッセージ
今世紀の中国が日本にとってもより大きな存在となるだろうという予測がたつ今なお、不変の「中華思想」という、むしろ日本側の固定観念によって中国は語られがちだ。それは、なにかしら異質な文化に遭遇すると、自文化を特権化するのと表裏するかたちで、いとも簡単に、理解不能な「他者」として特殊化することに通じている。その危険性は、異文化をもつものへの自らの無知を「野蛮」「ならず者」視に転化し、そうした国や民族に対する「民主化」や「解放」の名による武力侵略への批判力をもたない思潮に、アメリカを中心として、日本を含む世界のそこかしこが覆われているのを見ても明らかだろう。このような困境から脱するための思想的な試みにおいても、中国の近代を共時において理解しようとすることがそのよき練習問題となりうるのではないか。
たとえば今世紀のアフガニスタンやイラクへの侵略戦争でも、戦果に「抑圧されたムスリム女性の解放」がしばしばあげられた。市民にとってはまずは生命と暮らしあっての「解放」であることをさしおいているところに問題があるのはいうまでもない。女性に宗教的理由をつけて課せられた不自由については、当の女性たちが主体となってあるべき解放をいずれ勝ちとるだろうとしても、その存在が国・民族の「野蛮」性の象徴とされ、「開化」の戦争の正当化に利用されている。この点が、少なくとも数百年は盛行した中国の纏足女性の近代における「解放」問題を連想させる。外からの纏足「解放」のプロセスは、「国恥」と目され、「落伍の足」と卑下した女性の肉体的精神的苦痛に満ちたものであった。
短期的にみれば、「優勝劣敗」で野蛮が淘汰されるとする社会進化論を底流にもつ、西欧発のある種のグローバル化。それが近代の顔のひとつであるとして、内部矛盾を醸成した長い王朝時代の歴史性を背負う世紀後半以降の中国は、西欧と大規模な遭遇をし、端的には西欧とその後追いをはかった日本からの「開化」の名による侵略に苦しみ抗する一方、アジア近隣地域間における不均衡ながらも双行的な思想連鎖の一環節として、西欧の受容・消化もはかって近代を形成してきた。
そこに時代の課題としてひときわ濃く浮かび上がったのは「保国」「保種」のための民族主義であった。それは華夷思想とは似て非なる近代人種概念の流布と重なり、日本ともども黄白人種史観を含んだし、社会進化論さらに身体を含めた女性の国民化、女性解放思想とも関連した「科学」的優生思想等々の問題群とも交差した。そういう意味で、西欧・日本と「はなから異なる」中国近代の姿があったわけではない。なかでもアジアにおける近代の問題の共有にむきあってこそ、日本の侵略戦争の重さと、とるべき責任をより深刻に思想化しうる契機があると思う。男性史に傾きがちな中国思想史の研究に女性史を加えるかたちではなく、ジェンダー化するための試みに込めた以上のような問題意識を、拙著からいささかでも汲み取っていただければ幸いです。
序章 近代の旅路――1903年中国女性
第一章 中国民族主義の神話――進化論・人種観・博覧会事件
1 中国近代の民族主義をめぐって
2 華夷・人種の表象
3 「保国」「保種」と社会進化論
4 黄帝神話・黄種・黄禍論
5 大阪博覧会事件
6 章炳麟の対周縁少数民族観
7 進化論と民族主義の行方
第二章 恋愛神聖と優生思想
1 五四新文化ディスコース
2 中国における優生学の受容
3 人口論・産児制限・恋愛結婚と優生思想
4 社会変革・女性解放言説と優生思想――周作人・周建人を中心に
5 優生学論争――周建人・潘光旦
6 恋愛の行方・フェミニズムの困境
第三章 足のディスコース
1 身体の国民化
2 纏足の表象
3 国粋から「残廃」・国恥へ
4 「落伍の足」の苦悩
5 纏足の末路と「質」の再発見
第四章 民族学・多民族国家論――費孝通
1 多民族性
2 近代中国人類・民族学の成立
3 費孝通の思想形成
4 「マルクス主義」の困難
5 「多元一体」中華民族論
終章 近代から見える現在
注
参考文献
あとがき
人名索引
第一章 中国民族主義の神話――進化論・人種観・博覧会事件
1 中国近代の民族主義をめぐって
2 華夷・人種の表象
3 「保国」「保種」と社会進化論
4 黄帝神話・黄種・黄禍論
5 大阪博覧会事件
6 章炳麟の対周縁少数民族観
7 進化論と民族主義の行方
第二章 恋愛神聖と優生思想
1 五四新文化ディスコース
2 中国における優生学の受容
3 人口論・産児制限・恋愛結婚と優生思想
4 社会変革・女性解放言説と優生思想――周作人・周建人を中心に
5 優生学論争――周建人・潘光旦
6 恋愛の行方・フェミニズムの困境
第三章 足のディスコース
1 身体の国民化
2 纏足の表象
3 国粋から「残廃」・国恥へ
4 「落伍の足」の苦悩
5 纏足の末路と「質」の再発見
第四章 民族学・多民族国家論――費孝通
1 多民族性
2 近代中国人類・民族学の成立
3 費孝通の思想形成
4 「マルクス主義」の困難
5 「多元一体」中華民族論
終章 近代から見える現在
注
参考文献
あとがき
人名索引
坂元ひろ子(さかもとひろこ)
東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学.専攻は近現代中国思想文化史.山口大学・東京都立大学を経て,現在,一橋大学大学院社会学研究科教授.
主要著訳書:『アジア新世紀』(共編,全8巻,岩波書店),『中国史 5 清末~現在』(共著,山川出版社),李沢厚『中国の文化心理構造』(共訳,平凡社),譚嗣同『仁学』(共訳,岩波文庫)など.
東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学.専攻は近現代中国思想文化史.山口大学・東京都立大学を経て,現在,一橋大学大学院社会学研究科教授.
主要著訳書:『アジア新世紀』(共編,全8巻,岩波書店),『中国史 5 清末~現在』(共著,山川出版社),李沢厚『中国の文化心理構造』(共訳,平凡社),譚嗣同『仁学』(共訳,岩波文庫)など.
書評情報
UP 2007年1月号
史学雑誌 第115編第8号(2006年8月)
ジェンダー史学 2005年創刊号
歴史学研究 第803号(2005年7月)
思想 2005年4月号
中国研究月報 2005年3月号
週刊読書人 2004年7月16日号
東亜日報 2004年7月3日
日本経済新聞(朝刊) 2004年6月20日
史学雑誌 第115編第8号(2006年8月)
ジェンダー史学 2005年創刊号
歴史学研究 第803号(2005年7月)
思想 2005年4月号
中国研究月報 2005年3月号
週刊読書人 2004年7月16日号
東亜日報 2004年7月3日
日本経済新聞(朝刊) 2004年6月20日