反ファシズムの危機

現代イタリアの修正主義

独裁を倒したレジスタンスの歴史的意義を否定する修正主義を気鋭の歴史家が厳しく批判.(解説=北原敦)

反ファシズムの危機
著者 セルジョ・ルッツァット , 堤 康徳
ジャンル 書籍 > 単行本 > 歴史
刊行日 2006/05/26
ISBN 9784000244329
Cコード 0022
体裁 四六 ・ 上製 ・ カバー ・ 188頁
在庫 品切れ
ファシズム支配の終わりから六十年余.イタリアで今,ムッソリーニ独裁を倒したレジスタンスの歴史的意義を公然と否定する言論が台頭している.だが戦後のイタリア民主主義の出発点となった反ファシズムの精神を歴史の記憶から抹消してしまってよいのか? 修正主義の言説に対し,気鋭の歴史家が痛烈な批判を放つ.(解説=北原敦)


■本書より1
 わたしの世代には,過去にたいするきわめて明確な責任があると思う.それは,二十世紀の歴史を,白も黒も区別しない曖昧な海のなかで溺れさせないことである.「あとから」生まれた特権ゆえに,わたしたちが自らの出自を思い起こして自分たちがどうあるべきか決める義務を怠るとしたら,笑われるのがおちだろう.もちろん,親類も祖先も勝手に選ぶことはできない.歴史がわたしたちに彼らを割り当てたのであり,それを変更することはできない.そのかわり,わたしたちには,どの祖先を敬い,どの祖先を忌避すべきかを選ぶことができる.わたしたちが最も親しいと見なす理由のある親類に,最後まで付き添うことができる.とはいえそれは,過去にたいしてだけではなく,未来にたいしての責任でもある.なぜなら,保存か消去かの決定にしたがって残った過去の痕跡のうえに,未来像は必ずや築かれるからである.


■本書より2
 最近,敗者の血にたいして,ジャンパオロ・パンサは一冊の本を捧げた.議論の的となったぶん売れ行きも伸びたその本は,解放後の数カ月間にイタリアの共産主義者によって行なわれたファシスト(と反ファシスト)の大虐殺にかんするものである.ここで,その本の性格と欠点の核心に触れてもしかたない.いずれにせよそれは――きわめて人間味のない科学的調査から,痛切きわまりない生存者の証言にいたるまで,たしかにさまざまなタイプの史料にもとづいているのだが――歴史と記憶の意図的な混同のうえに成り立っている本なのである.それより重要とわたしに思えるのは,リベラル派や明白な反動派の批評から,また広範な一般読者から,パンサが獲得した好意的な評価が,ポスト反ファシズムの教えの五番目にして最後の戒律,「汝殺すなかれ」の台頭ぶりによって説明されうることである.
 ……歴史の領域にかぎっていうなら,ひとつの同じ先入見が,イタリアのレジスタンスにかんする修正主義を,フランス革命やボルシェヴィキ革命その他にかんする修正主義に結びつけていることは明白である.すなわち,いかなる思想の連鎖も,いかなる新しい社会的契約も,未来の社会にかんする多少なりとも遠大ないかなる計画も,意図的な流血を正当化することはできない,とする先入見である.
 これは,尊重に値するとはいえ,あまりに議論の余地の多い先入見であり,そのため今日のイタリアにおいて,政界の右派にも左派にも,多くの矛盾する言動を誘発している.右派の側では,現在のレアルポリティークの論理にとびついて,イラクや,さらには他の「ならず者国家」にたいしてまでも,予防的戦争にかんする「ブッシュ・ドクトリン」の有益な効果を押しつけようとしている当のアナリストが,過去に目を向けて,イタリアの解放戦争の功罪を判断せねばならないときは,厳格な道徳家になる.左派の側では,反ファシズムの暴力の正当性を断固として擁護する人々が,解放という分水嶺を境にして,世界の地政学の勢力図のうえでアメリカが軍事力を使用することに肯定的な価値をいっさい認めない.人権――イデオロギーの危機の時代を生き延びた唯一のイデオロギー――に訴えることによって,結局は,ありとあらゆる主張がたとえ正反対のものでも可能になってしまうのである.
(5「超党派的」歴史の批判 より)
はじめに――ファシズム支配の二十年から共和制イタリアへ (訳者)

1 ポスト反ファシズム
2 ファシストたちの消滅
3 カレンダーの争奪戦
4 分断された記憶への賛美
5 「超党派的」歴史の批判
6 身分証明書
7 意識の激震
8 生における差異
9 犠牲者の記念碑化
10 現代史の授業
11 老年について
12 復活したクァルンクィズモと内戦の休戦
13 イタリアの女たち
14 レジスタンスの神話
15 ファシズムなきファシズム支配の二十年間
16 郷土派
17 反政治の復讐
18 「ソヴィエト的」憲法?
19 プレビッシート(人民投票)通り
20 ルイジアナの未開人

謝辞

解説(北原 敦)
訳者あとがき

文献一覧

[原題]
La crisi dell’antifascismo (Einaudi, 2004)

セルジョ・ルッツァット(Sergio Luzzatto)
1963年生まれ.近現代史(フランス・イタリア)研究者.現在,トリーノ大学教授.
著書,Il corpo del duce(ドゥーチェの身体)(1998年),Ombre rosse(赤い影)(2004年),Dizionario del fascismo(ファシズム辞典)(共編,2002年)ほか.

堤 康徳(つつみ・やすのり)
1958年生まれ.イタリア文学研究者.現在,慶應義塾大学講師.
訳書,イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』(白水社),アーダ・ゴベッティ『パルチザン日記』(平凡社),ジョルジョ・アガンベン『涜神』(共訳,月曜社)ほか.

《解説者》
北原 敦(きたはら・あつし)
1937年生まれ.イタリア近現代史研究者.現在,立正大学教授.
著書,『イタリア現代史研究』(岩波書店),『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』(共著,中央公論新社)ほか.

書評情報

朝日新聞(朝刊) 2006年7月30日
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