「沖縄核密約」を背負って

若泉敬の生涯

若泉はなぜ密命を受任し,凄絶な生涯をたどらなければならなかったのか.現代史家が活写する同時代史.

「沖縄核密約」を背負って
著者 後藤 乾一
ジャンル 書籍 > 単行本 > 伝記
刊行日 2010/01/22
ISBN 9784000224031
Cコード 0023
体裁 四六 ・ 上製 ・ カバー ・ 430頁
在庫 品切れ
佐藤首相の密命を帯びてキッシンジャー補佐官と沖縄返還に関わる核密約交渉に当った若泉敬(1930-96)は,1994年に著書で密約の経緯を明らかにする.晩年は沖縄への慰霊の旅を重ね,家族と義絶する.なぜ密命を受任し,凄絶な生涯をたどらなければならなかったのか.彼をよく知る現代史家が活写する,若泉敬とその同時代史.


■編集部からのメッセージ
 著者の後藤先生から草稿をいただき,お盆を前にした暑い夏,若泉の生地・福井に行こうと先生に誘われた.新幹線の車中で,感想など語り合いながら,話題は自ずと生前その謦咳に接した若泉の人となりへと移っていった.人懐っこい笑顔と高い学識に魅了されたこと,そのいっぽうで妥協を許さない古武士のような厳しさがあったこと,『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の原稿の第一読者となったときの興奮と緊張,そして死期を悟った頃,何通もの丁寧な文字で綴られた氏からの書簡の焼却を命ぜられたことなど.
 福井駅についてからは,“千早城”と自ら名づけたものものしい外壁の鯖江(さばえ)の自宅を訪れ,最愛の妻ひなをさんを亡くし,末期癌に侵された身で,来客の訪問を峻拒しながら『他策』を執筆した頃の若泉の鬼気迫る形相に思いを馳せた.主の若泉の没後,その玄関は今もなお固く閉ざされ,何びとも立ち入ることが許されていない.
 生地の服間村横住に住む若泉加三郎氏の案内で故人の墓に詣で,「志」と刻まれた地球儀の形をした墓石に手を合わせた.翌日は福井駅前の福井県国際交流会館のロビーに展示されている若泉の自宅に置かれていた「マンスフィールド地球儀」の巨大さに目を奪われた.日本列島には福井県のところに,小さく「Sabae」とピンが立てられていた.
 福井の若泉ゆかりの地を訪れると,死去したときのまま時間が止まり,氏の事績が中空をさまよったままでいるような印象を受ける.それは若泉自身が晩年に自分の実人生に連なる来歴を消去するような行動に踏み切ったことで,周囲の関係者たちが当惑したままその場に立ち止まっているような状態にあるためかもしれない.また「沖縄核密約」の存在をおのれの名誉と引き換えるようにしてカミングアウトしたにもかかわらず,国はその存在がないものとして取り合わず,そのいっぽうで沖縄の基地問題の構造は変わることなく,地域住民を苦しめているという現実のためかもしれない.若泉の魂が慰められ,氏の業績が郷里で碑銘に刻まれるのは,沖縄返還をめぐる戦後日米関係が歴史として語られる日が来るときを待たなければならないのだろうか.
馬場公彦
 序

■第一章 越前の片田舎から世界へ(一九三〇―一九六〇)
篤農家の長男として
越前今立の風土
戦時下の学校生活
東京大学法学部入学
土曜会メンバーに
インド・ビルマ旅行
元首相芦田均と土曜会の関係
初期言論活動
ロンドン留学と対英観
オキナワ
中野好夫と若泉敬
一九五九年=二〇代最後の年,そして結婚

■第二章 一九六〇年代日米関係の激流へ(一九六〇―一九六七)
アメリカ研究留学
オピニオン・リーダー会見記
W・ロストウ国務省政策企画委員会との邂逅
防衛研修所『紀要』への執筆
現実主義者の中国観
京都産業大学教授に就任
A・トインビーを慈父として
核軍縮平和外交への関心
国際関係の中のオキナワ

■第三章 内閣総理大臣特使として(一九六七―一九七二)
佐藤政権と「沖縄問題」
沖縄返還と核問題
非核政策立案へ関与
ジョンソン大統領との会見
ロストウ大統領特別補佐官との友情
キッシンジャー大統領補佐官との折衝――「秘密合意議事録」の作成
「キッシンジャー・テレコン」公開と若泉敬
一九六九年一一月二一日――日米首脳会談が終わって
薄明かりの靖国神社
日米「繊維問題」再燃
晩年の佐藤栄作との関係

■第四章 著述への決意(一九七二―一九九四)
一九七〇年代の著述活動
東南アジア訪問と反日運動
『世界週報』への定期寄稿
京都産業大学への熱き思い
郷里“隠棲”,そして妻の死
『日刊福井』への寄稿
外国要人の“鯖江詣で”
閉門蟄居下での執筆
公刊と著作への反応

■第五章 余命尽きるとも(一九九四―一九九六)
沖縄県知事大田昌秀と若泉敬
後期戦中派の終焉――池田富士夫と若泉敬
余命を生きる
「遺言公正証書」作成
「最後の日」一九九六年七月二七日午後二時五〇分
与那国島にて――祈りの日々

 跋
 主要参考・引用文献一覧
 若泉敬 略年譜
 人名索引
後藤乾一(ごとう けんいち)
1943年東京生まれ.早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授,(財)国際文化会館理事.主な著書に『昭和期日本とインドネシア』(勁草書房)『近代日本と東南アジア』(岩波書店)『東ティモール国際関係史』(みすず書房)『国際主義の系譜――大島正徳と日本の近代』(早稲田大学出版部)Tensions of Empire :Japan and Southeast Asia in the Colonial and Postcolonial World(Ohio Univ. Press), Return to Asia: Japan-Indonesia Relations :1930s-1942(Singapore Univ. Press,近刊)などがある.

書評情報

毎日新聞(朝刊) 2010年5月16日
河北新報(朝刊) 2010年4月4日
日本経済新聞(朝刊) 2010年3月28日
信濃毎日新聞(朝刊) 2010年3月21日
福島民友 2010年3月21日
新潟日報(朝刊) 2010年3月21日
静岡新聞(朝刊) 2010年3月21日
長崎新聞 2010年3月21日
熊本日日新聞(朝刊) 2010年3月21日
沖縄タイムス 2010年3月20日
週刊朝日 2010年3月19日号
朝日新聞(朝刊) 2010年3月17日
北日本新聞(朝刊) 2010年3月14日
北海道新聞(朝刊) 2010年3月14日
福井新聞 2010年3月14日
北國新聞(朝刊) 2010年3月14日
秋田魁新報 2010年3月14日
週刊エコノミスト 2010年3月9日号
東京新聞(朝刊) 2010年2月28日
ページトップへ戻る