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チェリー・イングラム

日本の桜を救ったイギリス人

日本の桜の恩人であり,今につながる「桜ブーム」をイギリスに起こした園芸家の稀有な生涯を辿る.

チェリー・イングラム
著者 阿部 菜穂子
ジャンル 書籍 > 単行本 > 伝記
刊行日 2016/03/08
ISBN 9784000238885
Cコード 0023
体裁 四六 ・ 上製 ・ カバー ・ 230頁
在庫 在庫あり
大英帝国の末期に生きた園芸家が遠路訪れた日本で目にしたのは,明治以後の急速な近代化と画一的な「染井吉野」の席巻で,多種多様な桜が消えようとする姿だった.「日本の大切な桜が危ない!」意を決した彼はある行動に出た――.日本の桜の恩人であり,今につながる「桜ブーム」をイギリスに起こしたその稀有な生涯を描く.



■著者からのメッセージ
 2013年春,イギリスの桜について記事を書く機会があった.そのとき,園芸関係者に取材する過程で,20世紀の初めに日本の桜を熱心にイギリスに紹介したコリングウッド・イングラム (Collingwood Ingram 1880-1981) というイギリス人園芸家がいたことを知った.彼は日本を3度訪問し,桜の穂木(接木によって樹を増殖する際,台木の上につなぐ枝のこと)を持ち帰ってイギリス南東部,ケント州の自宅の庭で育て,当時まだよく知られていなかった日本の桜をイギリスじゅうに広めたという.ある庭園関係者は「イギリスのジャパニーズ・チェリーは,イングラムひとりの努力でここまで普及した」と言い切った.そして彼がいちばん大切にしたのは桜の「多様性」だったというのだ.
 染井吉野一色に染まる祖国の風景を見慣れている在英日本人の多くは,イギリスの多様な桜の風景にとまどいすら覚え,「イギリスの桜は日本の桜とはちがう種類ではないだろうか」とささやき合う.
 「多様な桜」の風景を演出したイングラムに私はとても興味をひかれ,2014年夏からその足跡や人となり,業績について本格的に取材をはじめた.彼が住んでいたケント州のベネンドンに行き,生前のイングラムを知る人々に会って話を聞いた.イングラムはたいへん裕福な家庭に生まれ,ベネンドンに豪邸を構えるジェントルマンだったが,庭園の「桜の園」は地元では有名で,彼は住民から「チェリー・イングラム」と呼ばれて親しまれていた.
 さらに,現在60代から70代の年齢にあり,イギリス各地に住んでいるイングラムの孫たちにも会いに行った.イングラムの末娘サーシアの長女,ヴェリアンと夫のアーネスト・ポラード夫妻は,イギリス南東部,イースト・サセックス州ライ町の自宅にイングラムの残した膨大な日記や園芸資料を一括して保管していた.2014年8月に訪ねると,夫妻は1926年の「桜行脚」をはじめとするイングラム訪日時の未公開日記や写真のほか,ベネンドンでの桜のスケッチ,園芸雑誌などに執筆した多数の記事など,さまざまな資料をすべて見せ,提供してくれた.
 これらの資料を読み,インタビューを重ねると,深い愛情と情熱をもって日本の桜を育成し,イギリスに広めたイングラムの姿が浮かび上がった.また,当時の日本に目を向けると,明治維新後に近代化の波にのまれて多様な桜が失われていった過程や,「新生日本」の象徴として染井吉野が増産され,国じゅうに植樹された経緯も見えてきた.そんな時代にイングラムは日本へ足を運び,消え行く貴重な桜をイギリスに持ち帰って「保存」したのである.これは驚くべき事実であった.
 一方,視点をイギリス側に移してみると,イングラムの100年7か月という長い人生は,19世紀末の大英帝国の最盛期から20世紀の2度の世界大戦を経て,帝国が崩壊し,戦後発足した労働党政権によって社会主義政策が広く実施されていったこの国の近・現代史をそのまま歩んだものであったことがわかる.日本の桜はイギリスに渡り,日英の激動の時代を生き抜いたのである.
 私はこれから,イングラムの人生と足跡を追いながら,両国の歴史の証人となった桜の物語をつづっていこうと思う.
――本書「プロローグ」より
プロローグ

第一章 桜と出会う

虚弱児の生い立ち/鳥類研究家への道/真珠の国/日本への新婚旅行/転機/ジャポニズムとジャパニーズ・チェリー/桜園を造る/桜研究を生涯の仕事に

第二章 日本への「桜行脚」――日本の桜が危ない

三度目の日本/幻滅/古都での「発見」/吉野山,東京,ミスター・フナツ/野生の桜を心に刻む/新種の発見/「桜の会」/イングラムの警告

第三章 「チェリー・イングラム」の誕生

日本から穂木が届く/新種の創作/ベネンドンの「桜の園」/桜を広める/清楚な桜,淫靡な桜/‘太白’の偉業/‘太白’が結ぶ縁/桜園に近づく軍靴の音

第四章 「本家」日本の桜

桜の歴史 古代―江戸時代/‘染井吉野’の登場と明治維新/一変した風景/救済された里桜/桜の会の染井吉野批判/太平洋戦争と「桜イデオロギー」/戦争下で消えた桜

第五章 イギリスで生き延びた桜

バトル・オブ・ブリテン/戦時下のベネンドン/生き延びた桜園/平和な風景の蔭に/「黒いクリスマス」/ダフニーが見たもの

第六章 桜のもたらした奇跡

「桜守」たちの命がけの努力/‘染井吉野’植栽バブル/イギリスの桜ブーム/イングラムの桜が王室の庭園へ/晩年のイングラム/大往生/その後のザ・グレンジ/償いの桜/新しい世代の桜

エピローグ

あとがき

関連年表

参考文献
阿部菜穂子(あべ なおこ)
ジャーナリスト.1981年,国際基督教大学卒業.毎日新聞社記者を経て,2001年8月からイギリス・ロンドン在住.著書に『異文化で子どもが育つとき――イギリスの今・日本の未来』(草土文化),『イギリス「教育改革」の教訓――「教育の市場化」は子どものためにならない』(岩波ブックレット),『現代イギリス読本』(共著,丸善出版)などがある.2014年春から1年間,毎日新聞紙上で「花の文化史」に関するコラムを執筆するなど,近年はエッセイストとしても活動.ブログ「イギリス 花もよう 人もよう――あべ菜穂子の花エッセイ」のうち,「ルーシーとラッパズイセン」が2011年文春ベストエッセイの一編に選ばれている.

受賞情報

第64回日本エッセイスト・クラブ賞(2016年)

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