無理難題「プロデュース」します
小谷正一伝説
新聞,ラジオ,広告界を縦横に生きた男の軌跡を,井上靖,正力松太郎,吉田秀雄ら多彩な人物群像とともに描く.
小谷正一(1912-1992年).井上靖『闘牛』の主人公のモデルとなった毎日新聞社事業部を皮切りに,夕刊「新大阪」創刊,プロ野球パ・リーグの創設,民間放送の立ち上げ,海外からの芸術家招致,電通での活躍など,戦後メディアを縦横に生きた男の軌跡を,井上靖,正力松太郎,吉田秀雄,萩元晴彦ら,多彩な人物とともに描く.
■著者からのメッセージ
小谷正一80年,人生の最盛期は三つに分けることができるだろう.
夕刊「新大阪」の発行,プロ野球「毎日オリオンズ」と「新日本放送」の創設の三つである.いずれも毎日新聞社の「本田天皇」に強引に命令され,振り回されてやらされた「仕事」だが,たちまちのめり込み,奇想天外の発想で縦横無尽の働きをした.その後,「電通の鬼」吉田秀雄に引き抜かれるが,4年後,吉田は60歳の若さで死去,小谷はフリーになる.小谷にとって「デスクK」を主宰して以後は「余生」だったと言えば,言い過ぎだろうか.小谷は来る者拒まずで,分け隔てなく誰とでも同じように接した.その人生を辿れば,魅力に富んだ人物だとわかる.「表」の部分とそうでない部分もあったと思うが,私は敢えて「表」しか追わなかった.小谷は幼少の頃,柿の木の下で「あの枝に大きな実がある.こちらの方が熟している」と言い,もっぱら友達を木に登らせた.自分は指示するだけだった.しかし「夕刊」「球団」「放送」のときは自ら木に登り果敢に挑戦した.一番輝いていた.本書は小谷正一の「人生の黄金期」に焦点を当てた.
■著者からのメッセージ
小谷正一80年,人生の最盛期は三つに分けることができるだろう.
夕刊「新大阪」の発行,プロ野球「毎日オリオンズ」と「新日本放送」の創設の三つである.いずれも毎日新聞社の「本田天皇」に強引に命令され,振り回されてやらされた「仕事」だが,たちまちのめり込み,奇想天外の発想で縦横無尽の働きをした.その後,「電通の鬼」吉田秀雄に引き抜かれるが,4年後,吉田は60歳の若さで死去,小谷はフリーになる.小谷にとって「デスクK」を主宰して以後は「余生」だったと言えば,言い過ぎだろうか.小谷は来る者拒まずで,分け隔てなく誰とでも同じように接した.その人生を辿れば,魅力に富んだ人物だとわかる.「表」の部分とそうでない部分もあったと思うが,私は敢えて「表」しか追わなかった.小谷は幼少の頃,柿の木の下で「あの枝に大きな実がある.こちらの方が熟している」と言い,もっぱら友達を木に登らせた.自分は指示するだけだった.しかし「夕刊」「球団」「放送」のときは自ら木に登り果敢に挑戦した.一番輝いていた.本書は小谷正一の「人生の黄金期」に焦点を当てた.
──「あとがき」より
プロローグ
第一章 おれは空間に原稿を書く
第二章 夕刊紙「新大阪」梁山泊
第三章 綱渡りの「毎日オリオンズ」づくり
第四章 民間ラジオ放送創立へ
第五章 背水の陣で再びの「新大阪」
第六章 一所不住
エピローグ
あとがき
主要参考文献
第一章 おれは空間に原稿を書く
第二章 夕刊紙「新大阪」梁山泊
第三章 綱渡りの「毎日オリオンズ」づくり
第四章 民間ラジオ放送創立へ
第五章 背水の陣で再びの「新大阪」
第六章 一所不住
エピローグ
あとがき
主要参考文献
早瀬圭一(はやせ けいいち)
1961年毎日新聞社入社.名古屋を振り出しに,大阪,東京社会部などののち編集局編集委員.龍谷大学,東洋英和女学院大学教授などを経て,北陸学院大学副学長.毎日新聞社客員編集員.82年『長い命のために』(新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞.主な著書に『大本襲撃――出口すみとその時代』(毎日新聞社,のち新潮文庫),『奇人変人料理人列伝』(文藝春秋)など.
1961年毎日新聞社入社.名古屋を振り出しに,大阪,東京社会部などののち編集局編集委員.龍谷大学,東洋英和女学院大学教授などを経て,北陸学院大学副学長.毎日新聞社客員編集員.82年『長い命のために』(新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞.主な著書に『大本襲撃――出口すみとその時代』(毎日新聞社,のち新潮文庫),『奇人変人料理人列伝』(文藝春秋)など.
書評情報
日本経済新聞(朝刊) 2011年11月6日
日本経済新聞(夕刊)〔大阪〕 2011年10月13日
朝日新聞(朝刊) 2011年9月18日
神奈川新聞 2011年9月11日
毎日新聞(朝刊)〔大阪〕 2011年8月20日
毎日新聞(朝刊) 2011年8月14日
日本経済新聞(夕刊)〔大阪〕 2011年10月13日
朝日新聞(朝刊) 2011年9月18日
神奈川新聞 2011年9月11日
毎日新聞(朝刊)〔大阪〕 2011年8月20日
毎日新聞(朝刊) 2011年8月14日