老いるもよし

臨床のなかの出会い

老いと死を見つめ続けて30年.心に残る人々の生き方をユーモア溢れる温かい筆致で綴る人生の応援歌.

老いるもよし
著者 徳永 進
ジャンル 書籍 > 単行本 > 評論・エッセイ
刊行日 2005/03/17
ISBN 9784000223843
Cコード 0095
体裁 四六 ・ 上製 ・ 222頁
在庫 品切れ
人の老いと病,死を見つめ続け30年.ついに独力でホスピスを開設し,日々,地域医療に奮闘する徳永医師が,臨床の場で経験し心に残ったこと,数多くの患者さんや家族との心のふれあいを書き綴った「心のノート」.老いてなお,死を目前にしてなお,人間らしく自然に生きる人々の姿を優しく暖かくユーモア溢れる筆致で描きだす本書には,現代日本が忘れてしまったもう一つの世界がある.

■著者からのメッセージ

 ぼくが野の花診療所という19床のホスピスケアのある有床診療所を始めたのは,2001年12月.丸3年が経った.往診,在宅ホスピスなどもしているので,老人に会わない日は1日もない.アルツハイマー病の患者さんは外来にも病棟にも,在宅にもおられる.皆が老人と共に生きていく時代を迎えた.そうでなくてはやっていけない時代となった,と言うべきだろうか.
 たくさんの老人のための施設があちこちに出来,その数はマンションに負けないくらいである.一昔前に比べると,格段にきれいで快適な空間となった.でも,である.気になることが1つある.入所している老人の顔に精彩がないことだ.心の奥からは自分が置かれている状況に納得していない.心の底からのあくびがでていない,腹の底からは笑ってない,その人らしい言葉が抑制されている,と感じる.このことはどうしたらいいのだろう.皆で考えなければならない課題だと思う.
 外来に認知症の母を連れてくる娘さんがいる.1日に何度も食べようとする,知らぬ間に家を出て行方不明になる,あらぬところで排便をするなど,受診のたびに報告される.居場所が分かる発信器を首からぶら下げている可愛いおばあちゃんで,「はい,気をつけます.はい,覚えとらんです」と言って,娘さんが「これですわ」と言って笑う.そんなことを繰り返していた.いっしょに住む娘さんにとっては大変な毎日だ,と想像する.ただ,おばあちゃんの表情は自然でのびやかさが感じられた.譬えに問題はあるが,野生の動物と動物園の動物の違いだ.
 先日のことだった.娘さんが笑いながら,泣きながら言った.「先生,不思議なことがあったんです.日曜の午後1時から午後6時までの5時間,母が,昔の母に戻ったんです」
 表情も温和で,知性のある元の母の顔に戻ったのだそうだ.「『ほんとう,いやあ迷惑かけたな,ごめんよ,こらえてな』って言いましてね,びっくりしました.『おかあちゃん』『なんだあ,おかあちゃんだが』って言って.6時になったら,ピタッと元のぼけばあさんに戻ってしまいました」.こういうのを〈時あがり〉と呼ぶんだな,と思った.娘さんが言ったせりふも心に残った.「これで大丈夫です.何があっても,母のこと許せる,そう思いました,先生」.老いについての言葉が,また銘記された.

 ぼくの中に,老いと向き合う,という気概はない.でも,臨床を重ねていると,老いにぶつかる.これから,もっとぶつかり続けそうだ.その度に,老いって何なんだろう,と思うのだろう.異文化,でも共通文化.一つの箱に入って行くと,入れ子式にいろんな箱がある入れ子,老いの箱も入れ子の箱になっているのだろう,と思う.宇宙,いのち,家族,暮らし,死などなどの小箱である.
 この本は,主に,臨床で出会った老人を主人公にして書き綴ったものである.I章の「臨床のなかの出会い」とII章の「老いるもよし」の一部は勤務医時代の5,6年間に書いたもので,II章の多くは,野の花診療所を始めてから出会った人たち(主に老人)について書いたものだ.

 老いを窓にして窓の外にあるもの,窓の内にあるものを静かに見つめてみたいと思う.
(「老いを窓にして――プロローグ」より)

老いを窓にして――プロローグ

I 臨床のなかの出会い
 
悪霊祓い/マグロ/十年です/一号室/ローラ/ナマステー/ミセス・なんですねえ/ソテさん/リクさん/耳かき/一一じいさん/ミセス・アハハハッ/老人と浪人/黄砂に乗って/出口ないぞー/アイさんの受容/友だちの川柳/ハルエさんのだし巻き/夜中のカキ取り/「生きとります」/ヨシばあさんの色気/空のさくら/日曜日の病室/ヒグラシの鳴くころ/「スンマセンッ」/ひとり暮らしの家/自然の死が息づいていた/夕暮れの円卓会議/ゴンさん/体に申し訳なくて/そんなこと,ありません/爪切って,ねえ/死の位置/病院の窓から/死の場所/これからの診療所/

II 老いるもよし
 
七七七/一番大切なもの/will/ゆきゆ/吐血男/別れ花/「んあっ」/古井戸/レシピ86/人と魚と肉/わっからん病/モンブラン/シーソー/骨ほめ/団地ひとり/なれ/私たち/母と娘/先生,握手しよう/梨のいのち/都忘れ/しゅるるっ/のんびり苑/椅子死/カツカレーの店/むとん/夢屋の客/強い心臓,困るです/エクレア十個/匂い/デジカメ盗難/下町女優/マウンテンばあ/献体どちら/風呂,入りますけえ/マリアズ/旧バツイチ/夫婦焼/死よ来い/ラッパ二等兵/なおいてー/春風の中で/診療所が大好きでした/知行和尚/うんこのように/いちじゅく/呼び鈴/ストリートばあ/

徳永 進(とくなが すすむ)
内科医.1948年,鳥取県生まれ.京都大学医学部卒業.鳥取赤十字病院内科部長を経て,2001年,鳥取市内にホスピス・ケアを行う有床診療所「野の花診療所」を開設.1992年,地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞.
著書に,『医療の現場で考えたこと』『心のくすり箱』『臨床に吹く風』『隔離―故郷を追われたハンセン病者たち』『いま家族とは』(共著)『ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史』(共編)(以上,岩波書店),『人あかり―死のそばで』『死のリハーサル』『死の中の笑み』(講談社ノンフィクション賞受賞)(以上,ゆみる出版),『野の花診療所の一日』(共同通信社),『野の花診療所まえ』(講談社),『三月を見る――死の中の生,生の中の死』(論楽社),『野の道往診』(NHK出版)など,多数.
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