池田政権期の日本外交と冷戦

戦後日本外交の座標軸 1960-1964

ビルマを拠点に反共外交を遂行した池田外交を解明.「経済中心主義」という従来のイメージを覆す.

池田政権期の日本外交と冷戦
著者 吉次 公介
ジャンル 書籍 > 単行本 > 政治
刊行日 2009/05/26
ISBN 9784000221702
Cコード 3031
体裁 A5 ・ 上製 ・ カバー ・ 292頁
在庫 品切れ
ビルマを戦略の要として,アジアでの反共外交を遂行した池田外交の特質とは何か.日本は冷戦にいかに能動的に関与したのか.本書は多くの外交文書や関係史料を渉猟しつつ,知られざる戦後日本外交の転換期を解明する.池田内閣=「経済中心主義」という従来定着してきた評価を覆す新進気鋭の研究者による労作.

■編集部からのメッセージ

 従来,戦後日本,特に池田政権は,冷戦を戦うことを極力避けつつ,「経済中心主義」の“経済外交”を展開したと理解されてきました.しかし,新たに機密を解除された日米英の外交文書は,この「定説」の再検討を求めています.
 本書は,池田政権が「自由主義陣営の有力な一員」として応分の役割を果たすという座標軸を打ち立て,ビルマを戦略の要とし,米欧との連携を重視する独自の“反共外交”を能動的に推進したことを明らかにしました.果たして,「ビルマ重視路線」と米欧日「三本柱」論を要諦とする池田政権の外交構想はいかに生まれ,どのように帰結したのでしょうか.またそれは,戦後日本外交史に何を遺したのでしょうか.
 池田政権の外交政策に内在した限界と,継承すべき遺産を見極める.この作業は,今日の日本外交が抱える問題点を逆照射するだけでなく,日米安保を唯一の“命綱”とする外交路線に代わるオルタナティブを模索するうえで,きっと役に立つはずです.


 はじめに

第一章 日米「イコール・パートナーシップ」の生成 1960-62
 
第一節 池田政権の発足
 

逆風の中での出発
 

池田内閣の「新政策」
 
(1)保守支配貫徹のために/(2)「自由主義陣営の一員」としての国際的地位/(3)中立は「幻想」である
 
第二節 「自由主義陣営の一員」としての信頼回復
 

日米関係修復の試み
 
(1)燻る日本中立化への懸念/(2)小坂訪米
 

帰路としての第二九回総選挙
 
(1)日本外交の岐路――総選挙の意義/(2)審判の日
 
第三節 池田=ケネディ会談と「イコール・パートナーシップ」
 

ケネディ政権の対日政策
 
(1)ケネディ政権のアジア戦略/(2)覚めない日本中立化の“悪夢”/(3)「イコール・パートナーシップ」の狙い
 

池田訪米の目的――「自由主義陣営の有力な一員」をめざして
 
(1)池田の「大国」意識/(2)アジア外交と日本の国際的地位
 

池田=ケネディ会談
 
(1)日米関係の修復・強化/(2)アジア外交への意欲/(3)池田=ケネディ会談の成果
 

「イコール・パートナーシップ」の演出
 
(1)第一回日米貿易経済合同委員会の開催/(2)ロバート・F・ケネディ司法長官来日/“親米派”大平外相の誕生/キューバ危機と日米関係

第二章 日米欧協力体制の模索 1961-1962
 
第一節 対西欧外交の始動
 

池田政権の西欧重視姿勢
 

小坂訪欧
 
(1)日欧間の課題――GATTとOECD/(2)米欧日によるアジア反共政策の追求/(3)小坂訪欧の成果
 
第二節 米欧日「三本柱論」の構図
 

大平外相の対西欧姿勢
 

「三本柱」論の登場
 

反共体制構想としての「三本柱」論
 
(1)「『平和共存』に克ち抜く」ために/(2)自由主義陣営分断策への対抗/(3)「三本柱」論とアジア反共政策
 

「三本柱」論と冷戦における日本の地位
 
第三節 池田訪欧と日欧関係の黎明
 

首脳外交の展開
 
(1)西ドイツ/(2)フランス/(3)イギリス
 

池田訪欧の意義
 
(1)日欧関係の進展/(2)「三本柱」論の成果
 

日欧関係の強化とアメリカ

第三章 「ビルマ重視路線」の形成と展開 1961-63
 
第一節 アジアの脅威をどう見るか――日本の脅威認識と対抗策
 

日本の脅威認識
 
(1)間接侵略への懸念/(2)中ソ対立の評価
 

対抗手段と外交資源
 
(1)反共手段としての経済援助/(2)日本の「成功物語」
 

東南アジア反共政策と対中政策
 
第二節 反共政策としての「ビルマ重視路線」
 

「ビルマ重視路線」の萌芽
 
(1)矢口大使の進言/(2)ビルマの対日姿勢/(3)アウン・ジー来日/「ビルマ重視路線」の背景
 

東南アジア訪問
 
(1)ビルマを自由主義陣営に引き寄せるために/(2)タイ特別円問題の解決/(3)東南アジア訪問の意義/(4)反共外交の陥穽――カンボジアの反発
 
第三節 冷戦の中の日緬「特殊関係」
 

対ラオス経済援助の実施
 
(1)防衛線としてのメコン河/プーマ来日と対ラオス経済援助
 

賠償再検討問題の決着
 
(1)チャンスの拡大――ビルマの軍事クーデター/(2)日緬経済技術援助協力協定の成立/(3)アウン・ジー解任の衝撃
 

ビルマをめぐる日米英関係
 
(1)「ビルマ重視路線」と日米関係 /(2)すれ違う日英
 

「ビルマ重視路線」の意義と限界
 
(1)日緬「特殊関係」と日本の国際的地位/(2)メコン河の脆弱性/(3)ビルマの行方/(4)不十分な日米英の協力

第四章 東南アジア反共外交の停頓 1963-64
 
第一節 「大国」日本の試練――東南アジアの危機とアメリカの対日要求
 

高まるアメリカの「負担分担」要求
 
(1)厳しさを増すアジア情勢/(2)「主要同盟国」日本への期待/(3)日本の情勢判断と対処方法
 

東南アジアの二つの危機
 
(1)マレーシア問題の始まり/(2)緊迫するベトナム情勢
 
第二節 スカルノ「善導」論の挫折
 

インドネシアへの関心
 
(1)マレーシア問題への初動/(2)幻の「五カ国首脳会談」構想/(3)スカルノ「善導」論の展開/(3)アジア大洋州諸国訪問の成果
 

インドネシア=マレーシア紛争への仲介
 
(1)日本の仲介案/(2)イギリスとの対立/(3)硬化するアメリカの対スカルノ姿勢/(4)スカルノ「善導」論の挫折
 
第三節 ベトナムをめぐる相克
 

アメリカへの支持と疑念
 
(1)軍事介入への懸念/(2)追加支援への躊躇/(3)かすかな光――ジェム政権の崩壊
 

ベトナム情勢の悪化と日英仏関係
 
(1)ベトナム中立化をめぐる日仏の軋轢/(2)中仏国交樹立と日本/(3)深まらない日英対話
 

トンキントン湾事件と対南越緊急援助
 
(1)揺るがぬアメリカへの支持/(2)対南越緊急援助の実施

 おわりに
 あとがき

主要文献一覧
索引
吉次 公介(よしつぐ けいすけ)
1972年長崎県に生まれる.95年立教大学文学部卒業.2000年立教大学大学院法学研究科博士課程後期課程退学.日本学術振興会特別研究員.沖縄国際大学法学部専任講師,東西センター(East West Center)客員研究員などを経て,現在沖縄国際大学法学部准教授,博士(政治学).
主要論文に「池田政権の『ビルマ重視路線』と日米関係」(杉田米行編『アメリカ外交の分析』大学教育出版,2008年),『戦後日米関係と日本国憲法』(同時代史学会編『日本国憲法の同時代史』日本経済ひょうろんしゃ,2007年),「知られざる日米安保体制の“守護者”――昭和天皇と冷戦」(『世界』2006年8月号),「池田=ケネディ時代の日米安保体制」(日本国際政治学会編『国際政治』第126号,2001年)等がある.

書評情報

高知新聞(夕刊) 2009年9月26日
河北新報(朝刊) 2009年8月30日
四国新聞 2009年8月28日
山陰中央新報 2009年8月28日
沖縄タイムス 2009年7月25日
琉球新報 2009年7月19日
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