激情と神秘

ルネ・シャールの詩と思想

最後の形而上詩人の遍歴と,その詩世界の全貌を描く,初の本格的な作家論.超時代的な神秘家の詩と真実.

激情と神秘
著者 西永 良成
ジャンル 書籍 > 単行本 > 文学・文学論
刊行日 2006/01/26
ISBN 9784000227506
Cコード 3097
体裁 A5 ・ 上製 ・ 398頁
在庫 品切れ
20世紀フランスを代表する,最後の形而上詩人──その詩世界の全貌を描く,初の本格的な作家論.晦渋をもってなる詩行を入念に咀嚼しつつ,現代を生きた神秘家の思想遍歴を鮮やかに再生させる.カミュ,ブランショ,ハイデガーらとの間に交わされた対話の火花によって,反時代的・超時代的な精神の「詩と真実」を照らし出す.

■著者からのメッセージ

 このたび岩波書店から上梓された『激情と神秘――ルネ・シャールの詩と思想』を,私は最近の5年あまりのあいだに集中的に執筆しました.本の題名は20世紀後半のフランスを代表するこの瞑想詩人(1907年-88年)の詩集『激情と神秘』(1948年)の借用ですが,これは「激情」と「神秘」の二語がただ当該の詩集のみならず,彼の全生涯をつうじても一貫する貴重なキーワードだと思うからです.
 いま本書執筆にこの5年あまりを費やしたと述べましたが,じつはルネ・シャールへの私の関心は,もう40年近くまえになる学生時代にまで遡ります.といっても,当初のその関心はせいぜい,「現代詩の本質的な特徴のひとつは,その晦渋さが読者を魅惑するのと同じくらい戸惑わせることである.その言葉の魔術と神秘は,理解力がそこに向かわないのに,固有の魅惑を及ぼす」(フーゴ・フリートリヒ)という文言が,まさしくはじめてシャールの言葉に接した自分にもあてはまるといった態のものにすぎませんでした.私にとってはたしかに,彼の言語が直ちにただならぬ魅力をもつものに感じられたと同時に,その多くが「理解力が向かわない」ものだったことも事実なのですから.
 それでも不思議なことに,衝撃的だった原初の「魅惑」が忘れられずに,その後何度も「戸惑い」ながら時間をかけて繰り返し読んでいくうちに,ちょうど最高の西洋古典音楽の魅力がそうであるように,彼のまことに特異な言葉の「魔術と神秘」の放つ美が,最初はごく部分的だったのから,すこしずつ固有の異質性が失われてゆき,やがてより広く,深く,そしてかなり身近なものとさえ感じられてくるようになったのです.
 この本で論じた個々の詩やアフォリズムについて,そのような愚直な経験の積み重ねのうえに,ポール・ヴェーヌ教授をはじめ,多くの先行研究に助けられながら徐々に形成され,やっと誕生したのが,物質至上主義の緩和されたニヒリズムというべき私たちの時代に屹立する,この孤高の峻厳な詩人=思索者の精神の肖像を描こうとした『激情と神秘――ルネ・シャールの詩と思想』です.もとよりみずからの非才・非力は承知しながらも,この仕事に全身全霊を傾けたつもりですが,それでも私個人の資質・知識の限界を免れない,いまだ不充分な詩人論にとどまりました.なぜなら,この本によって自分の長いシャール研究に一区切りをつけたと思っているいまもなお,依然として私は彼の存在の量りしれぬ偉大さに圧倒されたままなのであり,今後もきっと別の角度から別の研究をつづけることになって,結局いつまでも終わりが見えてきそうにないという予感をいだいているからです.
 かつて詩人田村隆一が飯島耕一氏の先駆的な訳業から,ポエジーは「ひとしずくの光」だというシャールの言葉を教えられたとしてずっと感謝していたことを,いまふと思い起こします.そして私は,まだまだ未熟なこの本のなかにも,もしひとりでも多くの読者がそんな特別の言葉なり,詩句なりを見つけられることがあるなら,著者としてこれに優る歓びはないと思っています.少なくともそれこそ,著者がこの本にこめた秘かな意図と期待だからです.


■編集部からのメッセージ

 カミュの生涯にわたる盟友にして,ハイデガーにインスピレーションを与えた神秘家.
 ブラック,ピカソ,マティスらがその詩に絵を添え,ピエール・ブーレーズが曲をつけた詩人.
 翻訳王国日本にあって,ルネ・シャールの名がこれまであまり知られていないというのは不思議なことです.もちろん,紹介されるべくして,いまだにこぼれている作家・思想家は少なくありません.しかしシャールの場合,その存在によって20世紀の詩史が組み替えられねばならないほどの詩人といわれます.まして,シュルレアリスムをはじめ,見落とされてはならない文化運動の渦の中心にあったその生涯の歩みを思えば,研究と評論の手薄さは奇妙な文化現象というべきでしょう.

 ランボー「見者の手紙」に記された,ある内的体験と,それを捕捉しようとする詩法のマニフェストを,シャールもまた共有していました.言語と論理によって一義的に定着することは不可能な体験,それによって現実のすべてが更新され,「永遠のおとずれ」を疑えないとはいえ,受動形で語らざるをえず,「五感の組織的な錯乱によって」(ランボー)陥穽を構えることしかできない詩的経験――シャールの軌跡とは,この体験が刻んだ痕跡にほかなりません.


 「詩的神秘への,さらには神秘体験への揺るがぬ確信」とともに生きることは,とりわけ現代においてはさまざまな逆説に引き裂かれつつ歩むことを意味します.ランボーの擱筆も,その困難さの一端を語っているでしょう.しかし,シャールはこの詩的神秘の気圏を生き続けました.詩人としての形成から,シュルレアリスム期も,「アレクサンドル隊長」の暗号名で対独レジスタンスの重責を担った時期も,そして戦後1988年まで…….
 「呪われた詩人」の捕囚の魂がたどった水路を,詩作品の解読によって浮かび上がらせること,本書の全篇はそれに献げられています.それにしてもこの魂の年代記は,なんと反時代的・反現代的な顔をもっていることでしょう.著者は言います,「シャールを読むとは……この時代から一時的に心を引き離してみるという試み,一種の精神の冒険のことでもある」と.そして,人間の生がかつてもっていたかもしれない,もっと充実し輝かしい時代が開かれないとも限らない,という期待の地平を垣間見ることでもある,と.
 詩人ルネ・シャールの存在は,カミュ,ハイデガーにとどまらず,ブランショ,バタイユらの精神に接近するうえでも必須の手がかりであり,鏡でもありましょう.さらに,20世紀精神の風景がいずこかを分水嶺とし,大きな弧を描いて転換したのだとすれば,まさにその臨界線を指し示す詩的宇宙に違いないのです.

 本書は,5年の歳月を費やされた書下しです.1960年代の最初の出会いから40年,著者自らシャール解読の導きになったといわれるポール・ヴェーヌ『詩におけるルネ・シャール』の訳業に着手されてから十数年,400字の原稿用紙にして1300枚のスケールに凝集された,質・量ともにこれは文字通りのライフワークです.
(編集部・中川和夫)
はじめに
I シャールの詩作(一)
1-1 土地の精霊
ソルグ川の詩人/最初の瞬間
  1-2 暗い少年時代
    水の私生児/水=母/父の死
  1-3 死と美の発見
    不安の輪/〈美〉と女たち/ジャクマールとジュリア
  1-4 反逆児と詩作
    処女作『心のうえの鐘』と初期の詩/真っ直ぐ立った人間/燃焼の徒弟
  2-1 反抗の詩,シャールのシュルレアリスム参加
    自己との訣別/詩集『武器庫』
  2-2 シュルレアリスムの冒険
    熱狂と幻滅/サドとシャール/キリスト教批判/シュルレアリスム批判と離脱
  2-3 ポスト・シュルレリスム期の詩
    世界の終末の不安/歴史の侵入/言い難いもののなかの強制歩行
  2-4 シャール詩の変貌と成熟
    〈言葉〉の移牧/成熟の自覚

II シャールの詩作(二)
1-1 レジスタンスと抵抗詩
詩人の沈黙と行動/期待の原則
  1-2 『イプノスの手帖』
    火に変貌する眠りの神/アレクサンドル隊長の日々/封印された詩作/アフォリズムの発見/アーレントへの疑問/「期待の原則」の根拠/立ち去る詩人
  1-3 夜と忘我の経験
    新しい神秘/稲妻の経験/〈眠り〉と忘我/忘我の風景/忘我と詩作/コール天の歌
  2-1 動植物の詩,恋愛詩
    動植物の詩/細心な女/恋愛詩
  2-2 詩と詩作の詩
    私は痛みに住まう/鮫と/A……/詩人と〈美〉/詩と死,そして愛/信心と献身
  2-3 詩人の運命 詩の宿命
    永遠の徒弟としての詩人/忠節と嫉妬

III 至高の対話
1-1 シャールとブランショ
ブランショのシャール論/始まりの言葉
  1-2 ヘラクレイトス,ニーチェ,シャール
    シャールのヘラクレイトス観/ニーチェ主義者としてのシャール/シャールの哲学詩
  1-3 シャールとハイデガー
    証言と宣伝/近接と影響/謎としてのランボー
  1-4 シャールとランボー
    ランボーの形象/まだ出現していない文明の最初の詩人
  1-5 シャールとカミュ
    カミュにとってのシャール/シャールにとってのカミュ
  2-1 シャールとジョルジュ・ド・ラ・トゥール
    瞑想と闘い/詩的神秘の仲介者
  2-2 シャールと現代画家たち
    ジョルジュ・ブラック/ホアン・ミロ/ヴィエラ・ダ・シルヴァ/ニコラ・ド・スタール

IV シャールの思索と詩作
1-1 シャールの時代・歴史認識
時代認識/技術批判/悲観主義と反歴史主義
  1-2 シャールの人間論
    人間=宇宙のエネルギー/反抗のモラル/激情と神秘/欲望礼賛/遠方の無慈悲/シャールの神々
  1-3 孤独な予言者 現代社会と/の詩人
    帰還を決意するオリオン/逡巡するオリオン/幻滅し,再出発するオリオン
  2-1 『失われた裸』の季節,冬の時代
    もろい年齢/川上への回帰
  2-2 最晩年の詩
    自己回想/死の詩,詩の讃歌
  2-3 遍歴の旅の終わりに
    反抗,美,期待/未知と空白


  あとがき
  ルネ・シャール略年表
  人名索引
西永 良成(にしなが よしなり)
1944年富山県生まれ。東京大学フランス文学科卒業。同大学院に入学後、1969-72年、フランス政府給費留学生として、パリの高等師範学校およびソルボンヌ大学に留学。1978-80年、フランス国立東洋語学校講師。現在、東京外語大学教授。
著作:『評伝アルベール・カミュ』(白水社、1976)、『サルトルの晩年』(中公新書、1988)、『ミラン・クンデラの思想』(平凡社、1998)、『変貌するフランス――個人・社会・国家』(NHK出版、1998)、『「個人」の行方――ルネ・ジラールと現代社会』(大修館、2002)ほか。訳書は、サルトル、クンデラなど多数にのぼるが、とりわけ本書との関連では、ポール・ヴェーヌ『詩におけるルネ・シャール』(法政大学出版局、1999)が特筆される。

書評情報

読売新聞(夕刊) 2006年4月22日
週刊読書人 2006年4月21日号
日本経済新聞(朝刊) 2006年3月12日
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