シンボルの哲学

理性、祭礼、芸術のシンボル試論

アメリカにおける記号論を美学に発展させたS.K.ランガー(1895-1985)の代表作。一九四二年刊。

シンボルの哲学
著者 S.K.ランガー , 塚本 明子
通し番号 青N602-1
ジャンル 書籍 > 岩波文庫 > 青(哲学・教育・宗教)
刊行日 2020/08/18
ISBN 9784003860151
Cコード 0110
体裁 文庫 ・ 614頁
定価 1,584円
在庫 在庫あり
シンボルを生み出し、これを操作することこそ人間と動物を区別するものであり、哲学に関心を抱くものは、その基礎をなすシンボルとその意味を認識しなければならない――。アメリカにおける記号論の礎を築き、これを芸術の哲学に発展させた古典的名著。シンボル機能の結実である言語、音楽、美術、神話、祭儀などを具体的に論じる。
第三版への覚書き
一九五一年版への端書き
初版への端書き


第I章 新しい基調
全ての時代の特性はその問いかけにある――「創発的着想」その発生と衰退――ギリシャ哲学からの実例――キリスト教哲学の発生と枯渇――近代哲学の発生と枯渇――哲学的関心が技術的関心によって窒息させられる――数学だけが「抽象的」でありながら尊重される――数学はシンボルと意味の学――感覚所与(センス・データ)とその科学における解釈――データはシンボルであり、法則はその意味である――新しい主題、シンボルの力――「力動」心理学――記号論理学――若い「創発的着想」の行き過ぎ―― 一つの着想の「分野」制限――「新しい基調」の約束するもの


第II章 シンボル変換
意味論的問題が発生心理学に与えた影響――発生論の前提、動物と人間の必要の同一性およびサイン反応からシンボル反応が派生する――送信器としての心――誤りの起源――複雑になるほど誤りが増える――シンボル使用の非実用性――知性を愚行に還元する理論の不条理――そのような理論は非実用的な祭祇が存続することと矛盾する――芸術の真剣さと矛盾する――夢の現象と矛盾する――人間の必要目録を再考する――或る機能は特別な必要を前提とする――シンボル化の必要――変圧器としての人間の心――非実用的な振る舞いはシンボル的――この見解は多くの人間学上の難問を説明する――シンボル作用の用法のいくつかはそれぞれの研究を要する


第III章 サインとシンボルの論理
現在ある意味の関係の分析はおおよそ正しいこと――歴史的概観――意味の「性質」の捉え難さ――意味とは項の関数である――脈絡としてのパターン――主観、シンボル、対象――「意味」の様々な意味はパターンの内部の項の選択による――サインとシンボル――サイン的関係は広い範囲に及ぶ――ミステイク(間違い)――サインの論理的単純さ――シンボルと想念化――名――名はサインとしてもシンボルとしても――ヘレン・ケラーの場合に例示されている区別―― (サイン的)表示作用、外示作用、共示作用――外示作用と共示作用の内的関係――固有名詞は例外――シンボルと言説――字義的意味と命題――構文構造――シンボルとしての「論理写像」――抽象化の漸進――表象と概念――抽象は合理性の基礎――言語の論理的長所――真と偽


第IV章 論述的形式と現示的形式
「論理的投射」――論述形式は一つの「投影法」である――カルナップの結論、言語の構文は把握可能性の限界である――非字義的シンボルは「情動的」――形而上学について、ラッセルとヴィトゲンシュタイン――哲学とはさまざまな意味の発展である――シンボル機能は言語より広い――言語に限ることは精神のあまりに多くの部分を無意味と決めてしまう――合理性は分節に始まる――「もの」が持つ概念的な性格――ゲシュタルト(形態)はシンボル的用法の先駆け――非論述的形式の把握――そのような形式は派生的な意味でも「言語」ではない――言語の論理的特性――現示的シンボル作用の論理的特性――原始的理解――感情の形式――現示的諸形式の漸進的分節化――文化の主たる発達の鍵


第V章 言 語
人間の全てが完全に分節化された言語を持っている――いかなる動物も全く言語を持っていない――動物の伝達――類人猿の無言症――彼らには幼児期の喃語本能がない――言語の起源の謎――「言語本能」が追求されることもある――耳の聞こえない子供と「野生の」子供は話さない――言語学者が拒否する問題――サピアの推論、シンボル作用の一般理論が必要である――言語の起源を常に伝達に求めること――初期のシンボル機能に求めるべき――類人猿に見られるシンボル的行動――片言の本能が欠けていることが言葉を妨げる――シンボルと自由な形式――実用主義的見解の間違い――ファーネスのサル――アヴェイロンの野生児――人間の片言おしゃべりは一時的――言語学習の条件――ドノヴァンの言語起源の説――おそらく外示作用よりも共示作用の方が先――用法――常に命題中心――発展についてビューラーとヴェーゲナー――修正の働き――一般性は隠喩による――ヴェーゲナーの「色褪せた隠喩」――想念的思考の進化――言語の普遍性についての説明


第VI章 死生のシンボル、聖体(サクラメント)祭儀の根元
感覚像と概念――隠喩的用法――原始的抽象――空想――欲望と夢――原始的想像力――夢におけるシンボルと意味の混同――未開の思考における――サクラ(聖なる物)の力――観照の知的興奮――情動表現と身振り――祭祇――模擬的な祭礼――遊戯の中の模倣――デューイの理論への反論――祭祇は聖概念の承認――呪術は本質的に実用的でない――身近な行為が厳密な形式を獲得する――聖体祭儀――「聖なる物」からの神性の由来――動物の形姿――トーテム信仰――神々の形成についてのジェーン・ハリソンの説


第VII章 死生のシンボル、神話の根元
祭祇と神話は起源が異なる――夢と物語――原始的な物語――登場人物とシンボル的行為――おとぎ話の成長――おとぎ話と神話――その機能の相違――おとぎ話の現実的要素――形式の一般化――「自然神話」の問題点――「文化的英雄」――おとぎ話と神話のつながり――英雄の物語における自然のシンボル――月の神の進化――月の人格化とは〈女性〉の月化である――神話的洗練――詩的定式化の影響――過渡的形態としての『カレワラ』――叙事詩の段階は神話の成就である


第VIII章 音楽における意義について
芸術と工芸品――「有意義的形式」――現代美学の中心問題としての意味――芸術的意味の問題――精神分析的理論は助けにならない――芸術的価値の源としての形式――音楽は最良の例――快としての音楽という理論――情動的刺激としての――感情の伝達としての――自己表現という誤謬――音楽はシンプトンではなくシンボルである――音楽の意義は芸術の論理的問題である――音楽の言語――標題音楽――感情の言語――音楽と感情の論理構造――言語との類比は誤解を招く――音楽の意味論的要素についてのフーバーの説――現示的シンボルは翻訳不可能――アーバンの芸術理論の排斥――分析の難しさ――批評家たちの感情的態度――自律性の擁護――「感情の代数」としての音楽――様々な誤謬――音楽は成就しないシンボルである――意味の振り分けは音楽的思考への松葉杖となる――音楽的な意味は現実的であるが「暗黙的」――形式と内容が一つのものとして経験される


第IX章 芸術的趣意の発生
音楽の起源は芸術ではない――民謡の諸起源――発生の誤謬――日常的な音が素材を提供する――造形的芸術の持つ範型の利点――範型の持つ危険性――基準の混乱――芸術の目標は分節化である――芸術的展望――音楽の展開が遅かったこと――それは範型がなかったから――リズムと語だけが案内役――節――範型からの解放――芸術的趣意――ペイターの言葉――芸術には比較が含まれない――様々な芸術の内容――「審美的情動」に芸術の統一を求めること――その情動の本性――芸術の内容ではない――芸術家と聴衆――「芸術的真」とはシンボルの適切性である――それは字義的真とは区別される――芸術的洞察――芸術の基準は絶対的ではない――新しい形式は明快ではない――古い形式は消耗する――字義的解釈と芸術的展望――神秘主義は意味の限界


第X章 意味の織物
実践的展望――事実の評価――事実は命題形式をとる――真と偽――事実への関心と神話の破壊――さまざまな「発見」は副次的――成熟とともに現実主義へ向かう傾向――事実の体系化と知的挑戦――現実の基準としての事実――その典型的表現としての歴史――科学よりもっと事実的――因果律――そして検証――シンボルとサインの結合――現実的思考の力――人の世界の変化――自然についてのシンボルが時代遅れになる――近代生活――サインとシンボルは思考の織物の縦糸と横糸――サイン機能――シンボル機能――意味の交錯性――「負荷がかかった」シンボル――精神生活の交錯性――道徳的生活の厳しさ――方向定位の必要――強力な死生のシンボルの欠如――現代の現実はあまりに新しく、まだ新しい聖なる物を提供できない――行為の自由は固定的価値に依存する――シンボルに依存する価値――祭祇的行為――現代生活における無意味さ――再定位は合理的必要――現代の野蛮は新しい神話の出現が引きおこしているもの


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