巻 頭 言・2001年4+5月号

 スルメの製造

養老孟司 (北里大学(解剖学))

 実験室で仕事をして,その結果を論文にする.そういう状況を離れて,もう20年近くになる.フィールドに出て採集をしたり,標本を作る作業なら,個人で続けられるから,いまでもやっている.べつにだれの迷惑になるわけでもなし,シンポジウムの類も自分でやる.できなくなったら,やらない.当然のことである.

 こういう状況を科学というなら,それでは19世紀以前だといわれてしまう.しかしそれでも本人は,国立大学に勤務していた時代の窮屈な思いを考えたら,はるかに気分がいいから,これでいいと思っている.

 論文を書かないでもいいというのが,じつに気楽である.いまはインターネットがあるくらいだから,そうしようと思えば,発表のメディアはいくらでもある.DTPだって,もともとそういう目的のものであろう.

 そうしたくなければ,べつに発表しなくたっていい.わかったけど,教えてやらない.そんな意地悪をしているわけではない.直接にデータから議論すれば,論文になる.その議論からさらに考えたことは,論文にはならない.メタ論文である.

 生物について論文を書くことは,生物を情報化することである.生物学の論文とは「情報化された生物」である.ところが情報は生きものではない.記号化されているからである.それはDNAの塩基配列と同じである.論文もアルファベットの配列だが,DNAの塩基配列もアルファベットの配列である.

 論文を書かなければ,学者ではない.それなら論文を書かず,生きものを生きものとしてのみ扱うのは,科学ではない.ゆえに純粋の臨床医学は科学ではない.科学であろうがなかろうが,それはどうでもいい.しかし生きものを論文にしなければ医者ではないということになると,おそらく妙なことが生じるはずである.患者は論文ではないからである.

 私はその意味で「理科離れ」してしまったが,これをやると,社会的には具合が悪い.簡単にいえば,「干される」.しかしロボットの専門家に訊くと,論文は書けませんという.ロボットを作るのが仕事だから,論文を書く暇がないのは,よく理解できる.もちろんロボット製作は科学ではないといえば,それでも済む.

 現代科学の問題点はそこだと,私は見ている.すべてが情報化したから,科学者は情報処理しかやらなくなったのである.私はそれをスルメの製造業だという.生きものを論文にするのは,スルメつくりである.なるほどスルメでなければ,イボの数は正確には数えられないであろう.しかしスルメつくりの専門家は,イカを上手に泳がせることはできない.経済学者が生の経済を扱えないのは,そのためである.

 私は解剖学だったからスルメを裂きイカにしていた.イカを扱ったつもりはまったくない.だからイカをスルメにするつもりもない.泳いでいるイカを見るほうが楽しい.ただしそれでは「科学ではない」といわれ続けてきた.もうそれには慣れた.

 

 

*無断転載を禁じます(岩波書店‘科学’編集部:kagaku@iwanami.co.jp).

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