巻 頭 言・2002年6月号

 旧石器文化研究と現代社会

藤本 強 (國學院大學文学部(考古学))

  旧石器文化という人類の遠い過去のことをなぜ研究するのか,それが現代の私たちの世の中とどんな関係があるのか,こうした質問がよく発せられる.人類がこの地球上に登場したのは500万年前とされ,人類が文字による記録を遺すのはもっとも古いところでも5000年前を遡ることはない.人類の歴史のほとんどは文字による記録のない時間で占められている.旧石器文化の研究を含む文字による記録のない時代および地域あるいは記録されない分野の研究は文字以外の資料を基礎にしなければならない.人類が遺したモノ資料を基礎資料にするのが考古学である.偶然に遺った,しかもそれ自身では何も語らない資料を基にして当時の文化や社会を復元するのであるから,その内容は限定的なものにならざるを得ない.また,地道な調査とそこから得られた資料のたゆまぬ分析と研究の積み重ねが必要になる.すぐには目に見える結果が出ないのが考古学という学問の特徴である.
 しかし,考古学は人類の歴史を淵源にまで遡って考えることができる.人類の今日があるのは,私たちの祖先がそれぞれの地域で周囲の自然資源を開発し,それを文化伝統という形で世代ごとに受け継いできたからである.当初は食物連鎖の上位に位置するとはとてもいえない状態で登場し,次第に道具を開発し,集団の力で戦略と戦術を整えることによりその最上位にまで上りつめるのが,4〜1万年前の後期旧石器時代のことである.ここでは食物連鎖の最上位にはあったが,まだ自然の動植物界の一員を出るものでなかった.人口も世界で1000万人以下であったと推測される.それが現在60億人になっている.実に600倍以上である.1万年前に開始される農耕は自然を改変する先駆けになった.
 その後,地下からさまざまなものを掘り出し,汲み出し,自然にはない種々のものを造りだし,ついには原子を改変し莫大なエネルギーを獲得するに至っている.ほかの生物界からは隔絶した存在として地球に君臨している.特にここ100年,さらに最近数十年,その速度は急速に加速され,人類,さらには地球の存立すら危ういものにしている.
 人類のためには益したかもしれないが,地球上にある他の動植物には絶滅に追い込まれるなど迷惑千万な話であろう.旧石器文化をもっていた人類は他の動植物と共生・共存する多くの叡智をもち合わせていた.時計の針を逆転させることは不可能であるが,旧石器文化に人類と他の生物が共に生きる地球の在り方に関する将来の指針を学ぶことができるであろう.
 そのためには地道な調査による資料の蓄積,その資料の多くの観点からの分析,それらから得られた研究成果と他の学問分野の成果を総合して,旧石器文化の人類の生きざまを明らかにすることが必要である.何がどこから出ましただけでは人類の将来に資することは少ない.資料と分析から旧石器文化の個々の社会の様相を具体的に描き出すことが求められている.それには長い忍耐と努力が必要になる.功を焦ってはならない.短期間に解答を出そうとすれば,考古学のもっている資料と方法の性質上大きな無理が生じる.一昨年の不幸な,あってはならない出来事の一因は功を焦ることにあったともいえる.
 地道な腰を据えた調査・分析・研究の積み重ねと問題の所在の鋭い掘り下げにより人類と環境の在り方の将来の指針を示すことが旧石器文化研究の課題とすることができよう.

*無断転載を禁じます(岩波書店‘科学’編集部:kagaku@iwanami.co.jp).

目次にもどる

‘科学’ホームページへもどる

ご購読の案内はここをクリック


岩波書店ホームページへ