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連載「市民社会と行政法」より


時局に鑑みて、大浜啓吉氏による『科学』連載「市民社会と行政法」より集団的自衛権と閣議決定をあつかった、2014年5月号(第28回)、6月号(第29回)、8月号(第30回)、10月号(第31回)の版面pdfを2014年12月1〜16日まで特別に公開しました。第28回を書きだしたものは引き続き以下に公開を続けます。

第28回『科学』第84巻第5号,569頁,2014年


集団的自衛権について

 今回は,集団的自衛権の問題を取り上げることにします。周知のように安倍晋三内閣総理大臣は,2014 年2 月5 日の参議院予算委員会で,集団的自衛権の行使は,憲法改正をしなくても「政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることで可能」だと答弁しました。2 月12 日の衆議院予算委員会では,民主党の大串博志議員が内閣法制局(長官は入院中のため)次長に集団的自衛権について「総理と同じ答弁をできますか」と迫ったところ,安倍首相は質疑が自分に向けられていないにもかかわらず,「おれが総理大臣だから」と自らの答弁にはやる姿勢をみせ「先ほど来,法制局の答弁を求めていますが,最高の責任者は私です。政府答弁に私が責任を持って,その上で私たちは選挙で国民の審判を受けるんですよ。審判を受けるのは法制局長官ではないんです。私なんですよ」と述べた。この「憲法解釈の最高責任者は私だ」との発言は波紋を拡げ,翌日の新聞・テレビ等は,野党ばかりでなく自民党内の一部からも批判が噴出していると報じています(朝日新聞2 月15 日)。

 こうした批判が多少応えたのか,翌13 日,安倍総理は「政治の場で私が決めればいいということではない。安保法制懇(「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」)*1で慎重に深い議論をして頂いている」と発言を修正し,さらに20 日の衆議院予算委員会では,集団的自衛権の行使を容認するための解釈改憲の進め方について,まず安保法制懇の報告を受けた後,「政府として検討を進め,与党でも調整し,夏ごろには最終的なものを閣議決定する」と踏み込んだ発言をしました。

 これに対して,民主党の岡田克也議員は「集団的自衛権の行使は,一つの内閣で簡単に変えられるものではなく,閣議決定前に国会で議論すべきだ」と要求しました。しかし,安倍首相はこれを一蹴し,閣議決定後に自衛隊法の改正や周辺事態法などの関連法案を提出することになるとしました。その後も,「集団的自衛権の行使」を首相主導の解釈改憲によって実現しようとする動きは続いており,マスコミの報道も警戒を深め持続的に問題点を指摘しています。

 今国会で行われた集団的自衛権をめぐる最近の議論の(本稿執筆時点での)あらましは以上の通りですが,この問題には,論ずべき論点が多数あります。憲法制定以来,政府は集団的自衛権について,一貫して「国際法上は保持しているが,その行使はできない」と解釈してきました。その根底に日本国憲法の3 原理の一つである9 条の「戦争放棄」(平和主義)があることはいうまでもありません。歴代の内閣が遵守してきた「集団的自衛権は行使できない」という憲法9 条の解釈を,安倍内閣は閣議決定というイージーな方法によって変更する意図があることを国会の場で宣明したのです。以下では,ここに含まれている問題について検討したいと思います。

集団的自衛権と内閣総理大臣の権限

 第一に,法制局に対する質問に対して,安倍首相の「内閣総理大臣の方が偉い」のだから何故自分に聞かないのか,「最高の責任者は私だ」との発言を取り上げましょう*2

 憲法は,内閣の権限と内閣総理大臣の権限を明確に書き分けています。憲法が内閣総理大臣の権限としているのは,・国務大臣の任免権(憲法68条),・国務大臣の訴追同意権(憲法75 条),・内閣を代表して国会に対して行う議案提出(これには法律案,予算案が含まれます),一般国務及び外交関係の報告,それに行政各部の指揮監督の権限だけです(憲法72 条)*3。換言すれば,内閣総理大臣は憲法を解釈する権限を憲法上有していないのです。それどころか,法律上も内閣総理大臣が憲法解釈権を有していると規定したものはありません。なお,念のために付言すれば,マスコミはしばしば衆議院の解散権を総理大臣の「伝家の宝刀」と書き立てますが,それは法律論としては間違いです。天皇の国事行為(7 条)として行われる衆議院の解散には,7 条解散と69 条解散の2 つの場合がありますが,いずれも解散を実質的に決定するのは内閣の権限であって,内閣総理大臣の権限ではありません。7 条解散は「内閣の助言と承認」と規定されており,69 条解散の主体も「内閣」と明記されています。たしかに内閣総理大臣には,国務大臣の罷免権が与えられていますので(憲法68 条),自分の意に沿わぬ国務大臣を罷免すれば結局のところ,総理大臣に解散権があるかのように見えますが,仮にそのような場合を想定したとしても,解散そのものには閣議決定が必要ですから,解散の決定はあくまでも内閣の権限であって内閣総理大臣の権限ではありません*4

 安倍総理の発言は,総理大臣の方が「偉い」のだから自分の解釈こそ政府の解釈であるというものですが,床屋談義であればともかく,憲法遵守義務を課せられた内閣総理大臣の認識としては,余りにお粗末であって驚きを禁じ得ません*5。内閣総理大臣は明治憲法下の場合と違って*6,上述したような一定の優越的地位を有しています。しかし,アメリカの大統領と同様の権限をもっている訳ではありません。アメリカにも,日本の大臣に相当する長官によって構成される内閣(cabinet)が存在しますが,内閣は大統領の非公式の諮問機関にすぎず,行政権の主体は大統領です*7。自分が「最高責任者だ」という安倍首相の発言の真意は,行政権を握るアメリカの大統領であればともかく,行政権の主体が内閣にある日本では通用しない議論だといわなければなりません。少なくとも内閣総理大臣がオールマイティーであるかの如き印象を与えるものいいは「法の支配」の原理を理解していないというほかありません*8

 第二に,行政権は,内閣に属する(憲法65 条)のであって,内閣総理大臣に属するのではありません。内閣の権限は,必ず閣議にかけて決定しなければなりません(内閣法4 条1 項)。閣議決定は,多数決ではなく全員一致が必要です(憲法66 条3 項)。行政意思の分裂を避け,内閣が一体となって行動するためにほかなりません。
 内閣は「内閣総理大臣及びその他の国務大臣」で組織される合議制機関です(憲法66 条1 項)。行政権の主体は内閣にあるのですから,行政にかかわる事項の最高の意思決定は内閣で行われなければなりません。もっとも,具体的な行政事務を行うのは「行政各部」であって,内閣ではありません。内閣と行政各部との関係については,内閣が行政各部の策定する政策を政治的観点から総合調整する役割を担っていると解されます*9。行政各部の組織および所掌事務は,法律で定められます(行政組織法定主義)*10。内閣を構成する国務大臣は,それぞれ「主任の国務大臣」(憲法74 条)として行政事務を分担管理し,各省庁がそれぞれ所掌事務および権限を実施することが予定されています(国務大臣=行政大臣同一人制)。このように,行政組織の法体系は,憲法を頂点として内閣法,内閣府設置法,国家行政組織法,各省庁設置法等(これには内閣法制局設置法が含まれる)によって形成されています。政治権力といえども立憲主義の下では,法を遵守しなければならないのであって,憲法から授権された法律の範囲内においてのみその権限を行使することができるのです。

集団的自衛権と閣議決定による解釈改憲

 安倍晋三総理大臣は,4 月末までに安保法制懇の集団的自衛権についての報告書を受けて,閣議決定によって従来の政府がとってきた「日本は国際法上,集団的自衛権は保有しているが,憲法上行使できない」という解釈を見直し,秋の臨時国会で自衛隊法や周辺事態法改正等10 本前後の関連法案を通して,12 月の日米防衛協力のガイドライン(指針)の再改定に繋げたい考えであると報じられています。問題は,果たして閣議決定で憲法解釈を変更することはできるのかどうかです。次に,この点について検討してみることにしましょう。

 第一に,憲法73 条は,内閣の権限について,「内閣は,他の一般行政事務の外,左の事務を行う」と定め,1 号から7 号まで主要な権限を列挙しています*11。そこには「憲法解釈」の権限は明示されていません。憲法全体の構造からみても,内閣に独自の憲法解釈権を引き出すことは困難です。このことは,73 条1 号の「法律を誠実に執行し,国務を総理すること」の文言からも読み取ることができます。前段の「法律の執行」とは,内閣が国会の制定した法律を執行することを第一義とする行政機関であることを明記する規定ですが,その限りで内閣は国会に従属するのです。決して内閣が憲法の解釈権を握り,その上で国会に法律を制定せよと命じているのではありません。「唯一の立法機関」である国会が制定した法律は,国会が合憲だと判断したことが前提になっています。仮に内閣が国会の制定した法律に違憲の疑いを抱いたとしても,内閣には法律が違憲かどうかを審査する権限はありません。この含意の下に,法律を「誠実に」執行するよう義務づけられているのです。その義務が解除されるのは,最高裁判決が当該法律を違憲と判断した場合に限られます。後段の「国務を総理する」とは,内閣が最高の行政機関として行政事務を統括し,行政各部を指揮監督することを意味します*12。この文言からも,内閣の憲法解釈権を引き出すことはできません。

 ところで,日本国憲法は,議院内閣制を採用しています。天皇が実質的な権能をもたず,選挙(国民の意思)で国会の多数を握った与党の信任を基礎に内閣が作られ,「国権の最高機関」(憲法41 条)である国会の制定した法律を実施するのです。法律には社会のルールである私法と一定の政策を介して社会に介入する行政法(公法)がありますが,いずれもより良い社会を創ることを目的としている点で共通しています。この体制の下では,内閣は一方で国会の制定した法律を執行すること(政策の執行)を本来の任務としますが,他方で国会の多数派を政権の基盤とすることで政策決定に深く関与することになります。具体的な政策の執行は各省庁が担いますが,政策執行過程は同時に社会における大量の情報が各省庁に集積されることを意味しますから,各省庁を媒介して内閣は政策決定のイニシアチブを握り,政治過程の中心に位置することになります。国会に提出される法律案の大半が内閣提出法案という事実がこのことを如実に物語っています。しかし,この現実は,内閣が憲法解釈について国会に優越することを何ら意味するものではありません。法律を制定するのは,あくまでも国会だからです。

 もっとも,法律の執行過程において国民(私人)の側から適用された法律の違憲の主張がなされ,裁判所がこれを違憲と判断した場合には,その法律は効力を持ちません。ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国には,憲法裁判所があって,法律そのものの抽象的な違憲審査が行われ,違憲とされると当該法律は一般的に効力を持ちません(一般的効力説)*13。これに対して,日本では付随的違憲審査制がとられていますので,裁判所の違憲の判断は必ず具体的な事件を前提とします。したがって,違憲判断の効力も当該事件に限定されるのです(個別的効力説)*14。このように,日本では国会の制定した法律は合憲性の推定をうけ,内閣とその下にある行政各部(各省庁)はこれを「誠実に執行」しなければならず,国民が具体的な事件において 当該法律の違憲性を主張した場合に,最高裁判所が「一切の法律,命令,規則又は処分」(憲法81 条)の憲法適合性を判断するという仕組みになっています。内閣が国会に先立って憲法解釈をすることはできませんし,内閣の憲法解釈に優越性を与える根拠は憲法上どこにもないのです。

 第二に,内閣に憲法解釈権がないにもかかわらず,何ゆえに「集団的自衛権は行使できない」という政府見解が表明されてきたのかという問題を考察しておきましょう。結論からいえば,政府見解は,議員の質問や質疑に応える形で出されたものであり,内閣の側から積極的に9 条をこのように解釈するとして出されたものではありません。明治憲法下の帝国議会は,本会議中心主義でしたが,日本国憲法は委員会中心主義が採られています。また各議員には,議案の発議,質疑,質問,動議の提出,討論,表決等の権限がありますが,国会では政党を中心とした会派に重要な役割が与えられていますので,個々の議員が一人で活動するには大きな制約があります。例えば,一般議案の提出も会派の機関承認印がなければ受理されませんし,加えて発議者以外に衆議院では20 人以上,参議院では10 人以上の賛同者が必要です。ところで,「質疑」とは,現に議題になっている議案について疑義をただすことです。「質問」とは,現に議題となっている議案に関係なく内閣 に事実や所信をただすもので,一般質問は議長に対して質問主意書を提出して行い,内閣はそれを受け取った後7 日以内に答弁する必要があります(国会法75 条)。

 集団的自衛権でしばしば引用される1972(昭和47)年10 月14 日の政府(田中角栄内閣)見解は,参議院決算委員会で水口宏之議員の質問に対して「資料」として提出されたものでした。その要点は,「わが憲法の下で,武力行使を許されるのは,わが国に対する急迫,不正の侵害に対する場合に限られるのであって,他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は,憲法上許されないといわざるをえない」ということでした。質問に対する「資料」として出されたことに留意しておく必要があります。1981 年5 月29 日の政府(鈴木善幸内閣)見解は稲葉誠一衆議院議員の質問に対する「答弁書」として出されました。曰く「憲法9 条の下において許容されている自衛権の行使は,わが国を防衛するために必要最小限度にとどまるものと解しており,集団的自衛権を行使することは,その範囲を超えるものであって,憲法上許されない」と。この両 者の政府見解は,集団的自衛権の定義としては同じなのですが,内容の点で微妙な相違があります。後者の論理の核心は《必要最小限度》かどうかということになっているからです。この点は,次回において内容面の検討の際に再度触れることにします。

 第三に,閣議決定の性質について触れておきます。「内閣がその職権を行うのは,閣議によるものとする」(内閣法4 条1 項)と規定されています。質問に対する「答弁書」も閣議決定されていますが,重要なことは「内閣がその職権を行う」ものに限 定されていることです。憲法解釈が内閣の「職権」に含まれないことは先に触れたとおりです。また閣議決定の法的効力は政府を構成する行政機関の意思を拘束する意味しかありません。国民を縛ることはできません。つまり,全行政機関は閣議決定に拘束されますが,国会も裁判所も国民も閣議決定に縛られることはありません。



*1―安保法制懇は,2007 年の第一次安倍内閣に首相の私的諮問機関として13 名の構成メンバーで作られたものです。この第一次法制懇は,報告書を作成して提出した時点では,首相は安倍晋三から福田康夫に変わっており,福田首相はこの報告書を基に憲法解釈の変更をすることはなかった。2013 年の第二次安倍内閣は,権威付けを狙って法制懇を再開しましたが,諮問の内容に基本的な変化はありません。構成は旧メンバーと同じですが,新たに細谷雄一慶応大教授が加わったため14 名となりました。安倍首相と同じ考えを持つ人(お友達)の集まりであることはいうまでもありません。

*2―TBS の番組「時事放談」(3 月2 日)で,元財務大臣の藤井裕久は,歴代の自民党内閣が否定してきた集団的自衛権の解釈を閣議決定で改めるという安倍総理の考え方は自民党にはなかったものであり,ましていわんや主流の考え方などではない。彼は本来の自民党とは異質な思想の持ち主だという趣旨の批判をしています。私には,思想の問題を論じる前に憲法の理解レベルの問題があるように思われます。

*3―憲法72 条を受けて,内閣法はいくつかの規定を置いています。一つは,内閣総理大臣は「内閣を代表して内閣提出の法律案,予算その他の議案を国会に提出し,一般国務及び外交関係について国会に報告する」(内閣法5 条)であり,いま一つは,「内閣総理大臣は,閣議にかけて決定した方針に基いて,行政各部を指揮監督する」(内閣法6 条)です。両者ともに閣議決定は必要ですが,後者の指揮監督の場合には一義的に内容を特定することができませんので,「閣議にかけて決定した方針に基いて」の文言を用いて,「方針」の閣議決定という形で弾力性を持たせたものと解されます。なお,「行政権は内閣に帰属する」(憲法65 条)といっても,行政権の行使を全て内閣が行うのではありません。行政組織を統轄する最高の行政機関としての内閣の下で「行政各部」(各省庁)が個別具体的な行政権を行使することが前提とされています。

*4―例えば,小泉内閣の行った郵政民営化の是非を問いたいとしてなされた解散の場合,3 人の閣僚が閣議決定の署名を拒否しました。2 人は総理大臣の説得に応じて署名しましたが,農水大臣は最後まで拒否したために,これを罷免し総理大臣が兼務することで閣内の統一を図りました。

*5―憲法99 条は「天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員その他の公務員は,この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定めています。ここでいう「国務大臣」には内閣総理大臣が含まれます(通説)。憲法66 条1 項は「内閣総理大臣及びその他の国務大臣」と規定していますが,「その他の」の語が示しているように内閣総理大臣は同時に「国務大臣」でもあるのです。実際,内閣府の「主任の大臣」は国務大臣としての内閣総理大臣です(内閣府設置法6 条2 項)。

*6―明治憲法には,国務大臣の規定はあります(明治憲法55条)が,内閣の規定はありません。内閣の組織は勅令である「内閣官制」によって規定されていました。行政権の主体は天皇でしたから,国務大臣は天皇によって任命されていました(天皇の「官制大権」)。これを議院内閣制に対して帝室内閣制といいます。

*7―アメリカ憲法には,内閣の規定はありませんが,大統領府(Executive Office of the President)以外に14 の省(Department)があり,各省には日本の国務大臣に相当する長官がいます。長官は上院の承認の下で大統領が任命しますが,行政組織編政権そのものは連邦議会が握っています(行政組織法律主義)。行政権は大統領にありますから,閣僚は議員である必要はなく大統領に対して責任を負うだけです。大統領に閣議を開催する 義務もありません。

*8―安倍首相は,2014 年2 月3 日の衆院予算委員会で,「憲法は国家権力を縛るものだという考えは,かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流の考えだ」と答弁していますが,立憲主義の基礎から学び直して貰いたいと思った国民も少なくないのではないでしょうか。

*9―高橋和之『立憲主義と日本国憲法(第3 版)』(有斐閣・2013 年)359 頁,大浜啓吉『行政法総論(第3 版)」(岩波書店・2012 年)42 頁。

*10―明治憲法の下では,天皇が官制大権をにぎっていましたので,行政組織は勅令によって定められていました(勅令主義)。

*11―憲法は内閣の権限について,73 条の他「天皇の国事行為に関する全ての行為」に対する助言と承認(3 条,7 条),最高裁長官の指名(6 条2 項),その他の裁判官の任命(79 条1 項,80 条1 個),国会の臨時会の召集(53 条),予備費の支出(87 条),決算審査および財務状況の報告(90 条1 項・91 条)の規定を置いています。

*12― 清宮四郎『憲法(I 第3 版)』(有斐閣・1979 年)323 頁,佐藤功『ポケット注釈憲法(下)』(有斐閣・1984 年)886 頁参照。

*13―日本でも少数ながら,法律の違憲判決が一般的効力を持つとする説もあります。兼子一・竹下守夫『裁判法(第3 版)』(有斐閣1994 年)96 頁。

*14―アメリカも付随的違憲審査制を採用している点で共通していますが,アメリカには判例拘束性の原則があるのに対して,日本ではこの原則もありませんから,違憲の効力は当該事件に限定されることになっています。もっとも,事案の性質によっては,判例が後の事案を事実上拘束する場合があります。尊属殺違憲判決(最判昭和48 年4 月4 日刑集27 巻3 号265 頁)や非嫡出子の相続分を嫡出子の2 分の1 と定めた民法900 条4 号但し書きを違憲とした判決(最判平成25 年9 月4 日判例時報2197 号10 頁)などがその例です。最高裁判決を受けて国会で法律の改正が行われました。これらの場合には,当該法律の執行を事実上行えなくなりますが,判決が法律の効力を一般的に無効とするものではありません。