巻頭エッセイ(『科学』2018年5月号)

地震研究と歴史学――異分野連携のもつ可能性

榎原雅治(えばら・まさはる 東京大学史料編纂所)


 いうまでもないことだが,明治以前の日本人は地震が起こるメカニズムなど知るはずはないし,震源という発想すらもっていない.それでも広域に及ぶ地震の揺れや,諸地域で連続して発生する地震があることは知っていた.当時の人々にとっては不可思議きわまりない現象だったのではないかと思うが,「江戸では二日にあったが,この辺りは三日だった」といった表現に出くわすと,地震を台風のような感覚でとらえ,それなりに納得していたのではないかとも思う.

 そうしたこともあってか,江戸時代の日記を見ると,地震の有無や強弱に関する記事は日々の天気に続けて書かれていることが多い.江戸時代には,全国各地で藩の役人,寺社の役職者,村の庄屋,商家の主人など,さまざまな人々が日記をつけていたが,それらに記載された地震の揺れに関する記述を集成してゆけば,観測機器のなかった時代の有感地震の日別のデータベースができるのではないか.そんなプロジェクトが地震と日本史の研究者の協力によって始まっている.そして1854年12月の安政東海・南海地震から翌年11月の安政江戸地震に至るまでの間の各地の日別の震動状況や地域ごとの特徴が少しずつ分かり始めている.歴史研究者として地震解明につながる貢献ができるようにと,無い知恵を絞っているところである.

 一方で,この取組は歴史学に対してもいくつかの問題を投げかけている.たとえば時間の理解.明治以前の日本では,1日を12等分した定時法と,日出/日没で昼と夜を分け,それぞれを6等分する不定時法(当然,季節によって伸び縮みする)が併用されていたことはよく知られているが,二つの物差しで記された史料を対照させて,同一時刻の事象かどうかを判定するということは,従来の歴史研究ではあまり必要なかった.瞬時の情報伝達方法のほとんどない時代では,人間の営み自体が時間差をもって動いているのだから,史料上の多少の時間のずれはあまり問題にならなかったのだ.しかし地震を扱う場合,一つの地震による揺れなのか,それとも余震なのか,震源を異にする別の地震なのか判定するためには,時間表記の正しい理解が必要となってくる.「昼八つ前」がどの時間帯を指しているのか,あらためて検証することが求められている.

 さらには日記という史料そのものの再評価である.誰が書いた日記かにもよるが,統治体制や社会構造を理解するという観点からは,江戸時代の個人の日記はそれほど重要な史料としては扱われてこなかった.効率よく必要な情報を得られる史料は他にあるからだ.県史や市町村史などで活字化されることは少なく,大量にありながら,どちらかといえば持て余されてきた史料ともいえる.しかし,今の私には各地の日記史料は宝の山に見える.日記をめくって震動記録を収集していると,地震以外の事件や当時の人々の日常などについても思わぬ収穫を得ることがある.地震研究は埋もれていた史料をよみがえらせる可能性があると思う.

 地震学も歴史学も時間と空間を対象とした学問である.協業できる土壌は存在しているし,実際,歴史地震研究にはすでに多くの蓄積がある.ただしこれまで歴史地震研究と一般の歴史研究がクロスすることはあまりなく,相互の批判が行われることも少なかった.史料による地震研究のおもしろさを一般の歴史研究者に伝えることも,始まったプロジェクトの課題であると感じている.

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