編集後記(『世界』2018年9月号)


  今号,青柳雄介氏の報告に瞠目した.今から半世紀前の1967年7月,いわゆる袴田事件の法廷において検察側の証人に立った高橋みどりさんの,驚くべき証言をスクープしている.

 当時,刃物店を営んでいた高橋さんは,捜査中の警察官から袴田さんの写真を見せられ,その顔に見覚えがあり,何かを売った記憶があると証言した.その証言が,「袴田の自白を裏づける形となっていた」(青柳氏).

 しかし,実際は違った.詳細は青柳氏の報告をお読みいただきたいが,事件発生から半世紀を超え,なお真実に迫り冤罪を晴らそうというジャーナリストの執念,それに応えたご高齢の証言者の思いに頭が下がる.現在も「確定死刑囚」としての立場を強いられている袴田さんの再審無罪に向け,「裁判所を大炎上させるくらいの世論を」(やくみつる氏).本誌としても引き続き注目していきたい.

 一方,オウム真理教による一連の事件に連座した人々の罪は,冤罪とはいえない.だが,罪を犯したとはいえ,権力により多数の市民の生命を奪うことが,これほど軽々しく考えられていいのか.今号「メディア批評」などで検証され批判されているように,死刑執行の命令を下した上川法務大臣をはじめ,政権与党の面々は執行の前夜,酒宴に興じていた.

 本誌校了の7月26日には,6日の7人に続き,残る6人の死刑も執行された.

 恐ろしいのは,同時に多くの刑が執行されたことで,生命を奪われた一人ひとりの顔が,さらに見えづらくなっていることだ.

 今から10年近くも前になるが,今号に論考を寄せていただいた藤田庄市さんの手引きで,オウム真理教の事件に連座した被告に拘置所で接見した.自らの罪を見つめ,人間性を失っていった自分の過ちを教訓にしてほしいと,若い世代に向けて手紙を書き続けていた彼も,今回,その生命を奪われた.

 オウム真理教に入信し,罪を犯すに至った人々の内面的な動機の解明に取り組んできた藤田氏の論文を読むと,「高い世界へ生まれ変わらせる」「縁が深くなれば救済できる」といった,異常としか思えない論理と,さまざまな宗教的体験の中で,犯行が動機づけられ,正当化されていったことがわかる.

 だが,こうしたオウム真理教の論理と,「特殊な社会悪の根元を絶ち,これをもつて社会を防衛せん」という最高裁の死刑合憲の論理(木村論文参照)と,本質的な違いはどこにあるのだろうか.

 「死刑は,対象を『尊重されるべき個人』ではなく,『存在してはならない生』と位置づける」,一度そのような「概念を認めてしまえば,時の政治権力が『社会にとって無益な人間』や『有害な民族』などを,その概念に含めてしまう危険が生じる」.木村論文の指摘は鋭い.

 人間を人間として扱わないでよいとする論理が,戦争や差別,貧困・格差といった,私たちが乗り越えるべき多くの問題に共通していることは,言うまでもない.本誌は,そのような論理と対峙し,生命を守ろうとする側とともに立ちつづけるメディアでありたいと思う.

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 今月号より本誌編集長に着任しました.吉野源三郎以来の創刊の志を受け継ぎながら,時代の提起する新しい課題に果敢に挑む雑誌であるよう努めます.引き続きご愛読いただきますよう,お願いいたします.

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