読む人・書く人・作る人(2018年9月号)

かつてあったいいことは

若菜晃子


 二〇一四年に、戦後日本の児童文学の礎を築かれた石井桃子先生の言葉を集めた『石井桃子のことば』を編集させていただいた。編集者であり翻訳家であり作家でもあった先生の遺された言葉は、どれも百一年の生涯における体験と思索に基づく信念に満ちたもので、そのなかからこれという言葉を選んでいくのは、まさに呻吟する作業であった。

 そうして出会った数ある言葉のなかで最も印象に残ったのは、石井先生ご自身のそれではなく、先生が四十代でアメリカに留学したときに知り合った児童図書館員の言葉だった。
 先生は留学時に得たものを帰国後日本の児童文学界の発展に生かしたが、再訪の折り、手本としたかの国の児童図書館が時代の趨勢に従い変容しているのを目にし、その行く末を案じ、当時の同僚に問いかけたところ、「かつてあったいいことは、どこかで生きつづける」と言ったと書き記している。

 時が流れ、人は代わり、時代は移り、多くのことごとが思わぬ方向に変貌していったとしても、「かつてあったいいことは、どこかで生きつづける」と信じることが、先の見えない暗闇を進んでいくときの確かな光明になる。

 石井先生ご自身を励ましたであろう言葉を著書に遺して下さったことで、その言葉はこの本の編集を続ける間、はるか後方に連なる私を強く励まし、没後十年を経た今もことあるごとに支えてくれている。言葉とは、こうして書物を通して、目には見えないところで人々の心に受け継がれていくものなのだ。

(わかな あきこ・編集者) 

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