『広辞苑』「那智黒」の項目に関する一連の報道について――

 8月27日付中日新聞朝刊、同日付東京新聞夕刊、8月28日付毎日新聞朝刊、8月29日付西日本新聞朝刊、およびいくつかのテレビ番組において、『広辞苑』の「那智黒(なちぐろ)」の項目に誤りがあるとの報道がなされました。

 しかし、これは事実経過を歪曲し、また『広辞苑』の記述を誤りと決めつけた不当な内容となっていますので、以下ご説明いたします。

 これらの報道は、1997年頃に三重県熊野市が、碁石に用いる「那智黒」の産地について、熊野市ではなく那智地方であるという誤りを記述している38種の辞典類に修正を求めたところ、大半の辞典では修正されたが、『広辞苑』は「和歌山県那智地方」のまま誤りを認めず訂正していないとしています。

 しかし、これは事実に反しています。1997年頃に熊野市から「那智黒」の記述について指摘を受けたことは事実ですが、それを放置してはおらず、あらためて記述を検討した結果、1998年刊行の『広辞苑 第五版』で解説文を変更しております。

 すなわち、第四版までは

「和歌山県那智地方産の、黒色の特に硬質な粘板岩。…(以下略)」

 としていたところを、第五版では

「(和歌山県那智地方に産したからいう)黒色の特に硬質な粘板岩。…(以下略)」

といたしました。

 これは、いくつかの史料に基づいた修正です。

 天保10年(1839年)に成立した『紀伊続風土記』「牟婁」の条の巻八十一「佐野村」に「那智黒石」という項があり、そこに以下のような記述がみられます。

「碁石に世に那智黒とて玩弄するもの多く此の海辺より出る処なり又金銀の質を試るとて摺つくるによく其品種をはかつ故に試石(ツクイシ)ともいふ〈漢名、試金石〉浜にある時は藍色なれとも玩摩するに随ひて黒漆の如く肌密にして愛すへし」
(現代語訳:碁石で世間で那智黒といって用いるものの多くは、この海辺から出るものである。また金銀の質を見るためにすりつけると、その品質を計ることができる。そのため、「試石(つくいし)」ともいう(漢名 試金石)。浜にあるときは藍色であるが、磨くにしたがって黒漆のようになり、きめが細かく愛すべきものだ)

 また、寛政6年(1794年)成立の『熊野巡覧記』の「巻之一」「浜の宮」の項には、「棋石 那智黒と名つく 此浜に出づ」という記述があります。

 すなわち、佐野村(現在の和歌山県新宮市)から浜の宮村(現在の和歌山県那智勝浦町)にかけた海岸では、那智黒がとれたという記録が残っています。

 『広辞苑』ではこれらに基づき、「那智黒」という名称の由来として、「那智地方に産した」という過去形での注記としております。現在の那智黒の採石地を説明したものではありません。

 なお、中日新聞・東京新聞では、『広辞苑』ではスペースに限りがあるため訂正ができなかったとありますが、紙幅を理由に誤りを放置することは一切ございません。

 読者の皆様のご理解を求める次第です。

 

 2013年8月30日

岩波書店

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