内山 節

私自身の心が太陽に暖かみを与えなければ、太陽はどんなに照っても、時に私を全然暖めてはくれないのです。
(ローザ・ルクセンブルク『友への手紙』伊藤成彦訳、論創社)

 

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 ローザ・ルクセンブルク(1871~1919、虐殺されたドイツの革命家)の獄中からの手紙のなかに、上のような文章がある。
 太陽だけが照っている。汚染された福島の町や村はいまもそんな感じだ。人の営みが消えた世界。太陽に暖かみを与えていく人たちがいなくなった世界。そこはどんなに太陽が照っていても、やはり寒い。
 各地に避難していった人たちのなかからは、新しいコミュニティや、ともに生きる場づくりの動きもはじまっている。けっして敗北だけがあるわけではない。しかし、その出発点は原発事故だった。それは私たちの文明が生みだした現象だ。
 晴れた日には、全国の原発や事故現場にも、太陽は照っているのだろう。暖かみのない太陽が。原発は太陽に暖かみを与えないだろう。原発を推進する人たちや事故現場で働く人々も、太陽に暖かみを与えない。それはローザが獄中で感じた世界と共通している。
 これから私たちは何度となく問わなければならない。この文明とともに生きている私たちは、太陽に暖かみを与えているのだろうかと。
 おそらくそれは、太陽に対してだけではないのである。三陸などでは防潮堤の建設や高台造成、復興住宅の建設がすすんでいる。だが復興とは、人々が太陽や大地、海などに暖かみを与え、だからこそ自分たちは太陽や大地や、海などから暖かみをもらっていると感じることのできる時空を生みだしていく過程であるはずだ。建設されていく防潮堤が、人と海の関係を遮断していく風景は寒々としている。人と自然がお互いに暖かみを与え合う時空のなかにしか、復興は実現できないはずなのである。
 とするとこの文明のなかで生きている私たちは、自然とのあいだに暖かみを与え合う関係をもっているのだろうか。暖かみを与え合う人間関係をどれだけつくりだしているのだろうか。3.11はすべての私たちに、問題を提起しつづけている。
(うちやま たかし・哲学者)

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