寺尾紗穂

その 原発に対して ここにおるさかい そう言ってるけど 
自分が滋賀県に生まれ育っとったら 何て言ってるかなって思うって 
たぶん 滋賀県の人と同じような事を言うとるか分からん
(福井県おおい町旅館経営兼漁師の上山さんの言葉、
川口勉監督作品「彼らの原発」〈近日公開予定〉)

 

*  *

 

 滋賀県の住民らが福井の大飯・高浜原発の再稼働差し止めを求めて仮処分を申し立てた。2014年にその訴えは却下されたが、おおい町の地元の人たちにとっては、印象に残る出来事だったのだろう。特に上山さんは漁師だ。琵琶湖のほとりでそこから自然の恵みを受けて生きている人たちの気持ちや、事故が起こらないか、という不安はよくわかったに違いない。上山さんをはじめ、原発の是非をはっきりと口にする人はこの映画の中にわずかしか出てこない。ただ、彼らの生活があり、その中でつぶやかれる言葉が監督によって受け止められていく。映画の終盤、「この地域に根差しすぎてしもたんや 原発が」と上山さんは言う。原発と共に近代化した街を見てきた人の諦めの言葉。けれど、私は冒頭で引用した言葉に希望を感じる。それは、自らの立場を他の誰かの立場に置き換えてみる姿勢だ。人間の思いには、揺れがあり、迷いがある。本当なら、意見の対立する人たちも相対して話をしていけば、そうした思いの揺れが、時には相手の立場や気持ちと共鳴しうる心の幅になるのだと思う。車座になって寄合で物事を決めていた昔は確かに遠い。けれど、すべてが合理化され、立場も意見も賛成/反対とわかりやすくしか報道されないような現代にあって、本来心にはそうした揺れがあり、幅のあることを思い出さなければいけない。
 「思い遣り」を辞書で調べると「思い遣ること。想像」と出る。上山さんが滋賀の人を思ったように、原発のある自治体に暮らす人々が立場を超えて互いのこと、町の未来のことを想像したときに、原発の問題は、地元の人間関係をがんじがらめにしている必要論から少しずつ解き放たれ、方向転換をしていくのかもしれない。
 街に出てデモで声を上げることも必要だと思う。その一方で、当事者たちの声ならぬ声について考えてみることも必要なのだと思う。自戒を込めて思う。
 その声が遠ければ遠いほど、静かに耳を澄まさなければならない。
(てらお さほ・シンガーソングライター、エッセイスト)

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