沼野恭子

いま人間は自然の中で「皇帝(ツァーリ)」の位置を占めているが、このままではやっていかれないだろう。人間にできることは自然の一部になること。暴力的な言葉を用い自然を操って対峙しようとしてはいけない。それは人類を自殺へ追いやる道だと思う。
 (2016年に来日した時のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの言葉)
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2016年11月、東京外国語大学にノーベル文学賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチを招き、名誉博士号をお贈りした後、学生たちと対話をしていただいた。彼女はこれに先立つ2日間を福島で過ごし、東日本大震災で被災した人たちに話を聞いている。学生が福島滞在の印象を尋ねたとき、彼女は、自著『チェルノブイリの祈り』で書いたこととまったく同じ荒廃した光景を福島で目にしたと答え、上記のように結んだのだった。
アレクシエーヴィチには、第二次世界大戦、アフガン戦争、チェルノブイリ事故、ソ連崩壊などのテーマごとにまとめられた「証言集」五部作がある。いずれも、極限状態に置かれた人間の苦しみや悲しみを証言者の語るままに綴ったもので、禁欲的なまでに自らの言葉(=解釈)を抑制している。だからこそ読者はそれらの重い証言をどう捉えたらいいのか彼女自身の考え方を知りたいと思うのだろう。彼女は世界中でインタビューを受けている。
そして確固たる信念のもと、繰り返し訴えている。人間性を失ってはいけない、自由を尊ばなければならない、大事なのはエコロジーだ、と。声高にではなく、柔らかな、しかし凛とした声で。
20世紀初頭ロシアは、非人間的なほどの格差社会を見限り、平等を理想に掲げて革命を起こしたはずだったが、ユートピアの実験は失敗に終わり、ソ連は崩壊した。あのとき、人はなぜ再び拝金主義と功利主義の支配する格差の道を選んでしまったのか。別の道はなかったのか。アレクシエーヴィチはそう問い続けている。そして今こそ「新しい哲学」が必要なのではないかという。共産主義イデオロギーに後戻りするのでもなく、効率や金儲けばかりを優先するのでもない新しい哲学。それは、自然を敬いエコロジーに比重を置く新しい価値観ということだろう。
ロシアだけの問題ではない。私たちの社会も同じだ。必要以上にお金を持つことへの含羞を持ち、弱者を大切にする倫理感を育まなければならない。そうでなければ、人間として生きる意味などどこにあろうか。
(ぬまの きょうこ・ロシア文学)

編集部より

◆2011年3月11日の後、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチはじめ、世界中から日本人への温かい励ましのメッセージが届きました。沼野恭子研究室に届いたそれらは6年経った今読んでも新しい、心に響く言葉にあふれています。下記URLでお読みいただけます。
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/nukyoko/2011/04/
◆本文でも紹介されましたが、2016年11月にスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが東京外国語大学で学生たちと質疑応答した内容は、同大学の “Pieria” の最新号(2017年号)でお読みいただけます(東京外国語大学出版会ウェブサイトの下記URLから “Pieria” 最新号をごらんください)。
http://www.tufs.ac.jp/blog/tufspub/

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