読む人・書く人・作る人(2017年4月号)

漱石の「明治天皇奉悼之辞」

三谷太一郎


 漱石は明治天皇が没した翌日(大正元年八月一日)の日付で『法学協会雑誌』に「明治天皇奉悼之辞」を書いた。法学協会は明治一七年に当時の東京大学法学部の教授たちを中心として組織された学会であり、それが発行する法学協会雑誌は今日も存続している。漱石はもちろん法学協会とは関係はなかったが、法学協会雑誌の編集主任であった国際私法の教授山田三良(後年日本学士院長)と個人的な関係があり、山田の依頼によって雑誌の巻頭に掲げる一文を書いたのである。

 「明治天皇奉悼之辞」は漱石にとっては無署名文であるが、それには漱石独自の明治天皇観が凝縮されている。明治天皇は日露戦争のさなかの明治三七年七月、東京帝国大学卒業式に臨席するため大学を訪問した。卒業者の中には、吉野作造らがいた。その際に文部大臣に対して、特に一つの「御沙汰」(今日でいう「お言葉」)を与えた。それは「軍国多事の際と雖も教育の事は忽せにすべからず」というものであった。漱石はそれを引いて、「天皇の徳を懐ひ、天皇の恩を憶ひ、謹んで哀衷を巻首に展ぶ」と結んだのである。当時漱石は大学の英文科講師であり、天皇を奉迎する列に連なっていたかも知れない。

 明治天皇の「御沙汰」は、太平洋戦争の際の大学に対する国家の態度と比べると、著しい懸隔を感じさせる。漱石が『心』の中で、自死した「先生」の遺書の一条として「私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな気がしました」と書いているのは、「明治天皇奉悼之辞」に裏づけられているように思う。

(みたに たいちろう・日本政治外交史)

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