阿古智子

人間は本来動物とは異なり、万物の霊長と言われ、優れた頭脳と両手をもっている。ミツバチやアリのように女王蜂や女王蟻の命令一下、もっぱらその生産工具として待機しているのではないのだ。
(台湾の白色テロの被害者・陳中統さんの言葉、陳中統さん自伝『生命への関心』2010年より)
*  *
東日本大震災から6回目の3月11日を迎えようとしていた頃、私は、台湾の歴史を学ぶ研修に参加する学生たちを引率し、台湾南部の嘉義市に滞在していた。活気に溢れつつも、穏やかな街頭の風景に見惚れていると、案内してくれた大学院生が、「この広場でも知識人が銃殺されたのですよ」と何気なく話した。ハッとした。そうか。これほど平和に見える街も、その奥底には、これまでに流された多くの人の血と涙が蓄積しているのだ。
台湾では1940年代後半から80年代にかけて、国民党政権下で恐怖政治が行われ、多くの人々が投獄、処刑された。特に、本省人(*1)の知識分子や左翼分子が徹底的に弾圧されたが、陳中統さん(80歳)もそのうちの一人だ。1969年から十年に及ぶ監獄生活を強いられた陳さんは私たちに、景美人権文化園区(台北市)で自身の経験を話してくれた。2002年につくられたこの人権記念エリアは、当時の警備総司令部軍法処、政治犯を収容する看守所、国防部軍法局などの建物を見学者に公開している。陳さんも、その看守所に収監されていた。
景美人権文化園区の見学を終え、台湾の友人に会った。彼女は私に、「あんなところより、もっといいところがあるのに」と言った。ああ、やはり、記憶の共有は難しいのか……。
台湾で二・二八事件や白色テロ(*2)について、実質的な検証が行われるようになったのはここ十年ぐらいだろう。1987年に戒厳令が解除されても、恐怖政治の影響で固く閉ざされていた人々の心は、容易には開かれなかった。若者たちが「台湾人アイデンティティ」を高める一方で、本省人と外省人など、異なる立場にいる人々の間の溝は、依然根強く残っている。
陳さんは「囚われの身」であった十年の間に、「人間の本性が善良で美しいことを知った」。そして、自伝を書いたのは恨みからではなく、「平凡な人間の歴史の記録として、私の子孫に残したいと思った」からだと言う。
自由を奪われる恐ろしさを知る陳さんは、毅然と「人間は生産工具ではない」と述べる。その一方で、人間の善良さを信じ、淡々と人間の歴史の記憶を紡ぐ活動を続けている。
3. 11に対する記憶も、台湾の歴史と同様、多様であるにちがいない。ただ、私たちは、人をも自らをも欺かない、人間としての善良さを保たなければ、3. 11を心に刻むことはできないのだ、と思った。
(あこ ともこ・現代中国研究者)

(*1)本省人と外省人──元々台湾に居住していた先住諸民族と漢族、及びその子孫で、1945年のポツダム宣言受諾による日本の投降で「中華民国の国籍を回復した」とされる人たちを「本省人」、台湾における日本の統治終了後に中国大陸から台湾に渡ってきた人たちとその子孫を「外省人」と呼ぶ。
(*2)二・二八事件と白色テロ──闇でタバコを販売していた本省人女性が取り締まりの役人に暴行された事件をきっかけに、1947年2月28日、本省人による抗議デモが行われ(二・二八事件)、その後、国民党政府と本省人の抗争が台湾全土に広がった。台湾では戒厳令が1987年まで敷かれ、国民党政権による市民や知識人への不当な逮捕や言論弾圧(白色テロ)が長く続いた。

カテゴリ別お知らせ

ページトップへ戻る