荒このみ

女たちは南部の〈大義〉に猛烈な誇りを抱き、自分のすべてを喜んで犠牲にしようとしているのだ。(略)みんなが狂ったように目を輝かせて〈大義〉について語るのに退屈さえ感じていた。〈大義〉が聖なるものとは思えなかった。戦争が聖なる行為だなんてとうてい思えなかった。
(マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』第9章、荒このみ訳、岩波文庫)
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これは、南部の大農園主の娘だったスカーレット・オハラの言葉である。マーガレット・ミッチェルは『風と共に去りぬ』で南北戦争とその後の再建時代を背景に南部社会を描き出した。南部人は、この戦争は数ヶ月で南部連合の勝利に終わると信じていたが、じっさいは、4年間続くことになり、その結果、南部連合は敗北した。
南部では北部の経済封鎖に苦しみ、物資が窮乏するなか、医療品を得るために資金調達のバザーが開かれる。その会場は南部連合への愛国心をあらわす旗や肖像画で埋まり、南部の〈大義〉というスローガンが行きかう。銃後を守る女たちは、〈大義〉の一つである「州の権利」が何を主張しているのか、その意味さえあいまいなままに声高らかに〈大義〉のためにと口に出し、愛国歌をうたい熱狂する。
その情景に主人公は違和感を覚え、みんなが「ヒステリカル」になっているとしか思えない。「ああ、なんて愚かな!」と心の中で叫んでいるが、その率直な反戦の気持ちは外にあらわしてはならない。周囲の人びとと一緒に愛国歌を唱和せねばならない。いっぽう南部女性の理想像として描かれているメラニーはそのような矛盾をいっさい感じていない。ミッチェルは相反する2人の南部レディを登場させて、じつにみごとに反戦思想を表現した。
国家が一丸となって戦争状態にあるとき、個人の正常な思考や感情は抑圧される。銃後の女たちの振る舞いは、南北戦争の南部であろうが、第2次世界大戦の日本であろうが、まったく変わらない。「隣組」の精神はアメリカでも強制され、それは21世紀の同時多発テロ直後のアメリカ社会に見られた現象だった。あらゆる機会に愛国歌が斉唱され、家々の窓に星条旗が飾られ、そして政府批判は徹底的に沈黙を強いられたのだった。
表現の自由の抑圧は、感じることの自由の抹殺でもある。「戦時下」というスローガンは、戦争状態にないときでも有効で、今日の日本では政府の主張にノーとは言えない、という論調が大手を振っている。自己の思考を尊重するノンコンフォーミティ(非順応主義)の姿勢が、今、問われている。
(あら このみ・アメリカ文学)

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