道徳,このやっかいなもの

『モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上・下)』
(ジョシュア・グリーン/竹田円 訳)

 「5人の命を救うために1人の命を犠牲にすることは許されるか?」 状況設定をいろいろ変えるだけで本質的には同じこの問題を問いかけると,私たちの心は一貫しない答えを出します.哲学者によって最初に提出されたこのジレンマに対して,神経科学と心理学の立場からその理由を解明し,それを出発点にあらたな道徳哲学を提唱するのがジョシュア・グリーンの本書です.
 感情的で直観的な判断と理性的な思考が脳のなかの別々のシステムでおこなわれていることがジレンマの原因です.2つのシステムはいずれも大切なものですが,自分が今どちらのシステムで判断しているのか自覚するのは簡単ではありません.直観的に判断しているのに,後づけでもっともらしい理由を考え出すのも私たちの心は得意だからです.
 道徳判断を左右するものとして著者が注目するのは私たちの心に根差す「部族主義」です(書名もそこからきています).部族主義の心は,私たちが社会的な動物として生き残るために進化的にそなわったものですが,人々の活動範囲が急拡大した現代社会で起きている多くの問題の根にあるのもこの部族主義です.
 著者は,理性的な思考のシステムをはたらかせることで,時間はかかっても,人間はこの部族主義を乗り越えられるという希望を示しています.上下2冊の大著ですが,読めばかならず,道徳,人間,そして自分自身に対する見方が大きく変わることでしょう.

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