玄田有史

病状がどの段階にあるかにかかわりなく、あるいは対処メカニズムを用いたかどうかにかかわりなく、患者たちはみな最期まで何らかの希望をもち続けた。
E・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間──死とその過程について』(鈴木晶訳、中公文庫)
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希望と社会の関係を考える「希望学」という研究を、大学の仲間と始めてから13年になる。2010年には希望学で学んだことをまとめて『希望のつくり方』(岩波新書)という本を書いたこともある。希望は誰かに与えられるものではない。自分(たち)でつくっていこうとすることが大切。それを、希望学を通じて出会った人々から私たちは教わった。
そのなかで看護学の方から「希望といえば」ということで教えていただいたのが、キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』だった。末期患者の臨床において、人生の最終段階について学ぶための教師になってほしいと、筆者は一人ひとりに依頼する。
患者の言葉の数々から、死に至る過程には、ある共通した段階のあることが浮きぼりになる。致命的な疾患を知らされた直後の衝撃。まさかそんなはずはないという否認。なぜ自分がこんな目に遭わなければいけないのかという怒り。医師、家族、そして神との間で交わされようとする、さまざまな取り引き。取り引きが不調に終わった後の抑鬱。最終段階の準備に向けた受容。そして虚脱──。
一連の段階のうち、怒りの瞬間から、虚脱の途中に至るまで、一貫して患者に去来するのが、なんらかの希望なのだという。だからこそ周囲の人々には、患者がつねに希望を持ち続けようとすることを忘れず、寄り添うことが大切なのだ。
希望学では、2006年から岩手県釜石市の人々と交流を続けてきた。試練や挫折を希望に変えていくとは「動いて、もがいているうちに何かにつきあたる」ことだと釜石で学んだ(『希望のつくり方』68ページ)
震災直後、釜石の友人たちに希望という言葉を投げかけることは、はばかられた。しかし、しばらくすると、自分たちの方から希望や夢を語り、前を向こうとする被災地の人々に、再び出会うことになる。
「夢をもったまま、死んでいくのが夢。みんなも夢をもって」。釜石に生まれ育ち、釜石を愛し続けてきた、昭和5年生まれ、八幡登志男さんの言葉である。
(げんだ ゆうじ・経済学者)

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