松田洋介

 震災の日は中学校に泊まって。(中略)それからばあちゃんちにいった。電気もないし、みんなと会えないし。テレビ見れないし、寒いし。しかも、ばあちゃんとじいちゃん亡くなるし。たまに、小学校に集まって、みたいな日があって。なんか、めっちゃうれしかった。こんなに学校っていうところは幸せなんだなって思いました。
(2016年3月18日、Sさんの言葉)
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2011年に陸前高田市の中学1年生だったSさんは、震災当時を思い出して、このように語った。Sさんに限らず、震災直後、学校で「災害ユートピア」に似た経験をした子どもは少なくない。被災地の教師たちが、「子どもたちのために」という思いで、学校再開に奔走したことはよく知られている。被災生活から少し距離をとれる学校は、子どもたちにとって、気兼ねなく友達と過ごし、語り合うことができるかけがえのない場だった。
震災から6年余りが経過した。私はこの間、月に一度のペースで同市のある中学校を訪問している。震災後、近隣小学校に間借りして再開されたその中学校は、隣接する中学校との統廃合を経て、今年からは新校舎に移っている。いまや学校で震災が語られることはあまりない。当時頻繁にあったマスコミ関係者の出入りや復興支援の慰問はほとんどなくなった。それは望ましいことでもある。震災に翻弄される子どもたちに、ごく普通の中学校生活を送らせることが教師たちの願いだった。工事車両が行き来する市域において、学校だけがいち早く「復興」を遂げ、他地域と変わらない日常を取り戻しているように見える。
しかし、学校の中にいると、別様の姿も見えてくる。震災前の学校に戻るだけでいいのか、と問い続ける教師がいる。震災後に異動してきた教師は、震災経験を共有していない自分が、震災に切り込む実践にとりくむ資格があるのかと逡巡する。作文に震災前の風景を次第に忘れてしまうことへの戸惑いを書いた子どもは1人ではない。震災で家族を亡くした子どもや教師は、その経験を簡単には口にださない。そして、教師や子どもの多くはそのことを知っている。震災は通奏低音のように学校生活を規定し続けている。
ただ、その通奏低音は、悲しみや戸惑いだけでなく、優しさや柔らかさを帯びているように思われる。あの日・あの時、学校という空間で、大人たちに大切にされたことで、そして仲間と共に過ごしたことで、教師を信頼し、他者に丁寧に関わるようになった子どもも増えている。そんなことを、教師たちは口にする。震災のその後を生きる日々の中で、子どもや教師たちはどのような文化を紡ぐのか。私はそれを記録したいと思っている。
(まつだ ようすけ・教育社会学者)

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