こぼればなし(『図書』2017年7月号)

こぼればなし

 五月号の本欄でもご紹介しましたが、ことしは岩波文庫創刊九〇年。その記念に作成した本誌の臨時増刊号「私の三冊」は、多くのみなさまに好評のうちに迎えられたようで、さまざまな反響が文庫編集部に寄せられています。
 本誌でも、これから三回にわたって「岩波文庫と私」と題した連続対談を掲載します。その第一弾の本号では、フランス文学の研究者であり、芥川賞作家でもある小野正嗣さんと、スラブ文学を研究されている沼野充義さんが、本質的な文学論、作品論を展開しています。
 対談の最後で、沼野さんが読者と作品の相互性、作品にむかいあう読者の姿勢を問い、作品の側が読者との対話を拒否することもあるのだ、と語っていますが、同様のことを別のかたちで、小野さんもまた、お書きになっています(『ヒューマニティーズ 文学』岩波書店)。
  「作品に真摯に向かえば向かいあうほど、作品自体に対する問いばかりではなく、それを読む自分自身に対する問い、自分を取り巻く世界に対する問いもとめどなく生じてくる」。「そのことによってテクストと“わたし”との関係は、豊かになりこそすれ、けっして貧しくはならない」。「テクストという他者を真剣に読むことは、(……)テクストという他者と同時に、“わたし”という人間を大切にするばかりではなくて、他者としてのテクストの周囲に広がる世界と“わたし”を取り巻く他者たちの世界に注意深く心を傾けることでもある」。
  そして、文学という営みは、作品をとおして「いまとここにいる“わたし”の周囲の他者ばかりではなく、時代と場所を超えて“わたし”とつながる無数の他者へと心を向け」、「言葉によって、“いま、ここ”にはいない他者とつながっていくことにほかならない」と。
  いま、ここにある自身のあり方を問うだけでなく、それを超えて多様な世界へと私たちを【誘/いざな】うとともに、他者への扉が開かれている――それが文学であり、その宝庫として岩波文庫はある、ということでしょうか。次号以降も読み手として、また書き手としても一家言をもつ方々が登場します。岩波文庫を枕にどんな話になるのか、おたのしみに。
  梨木香歩さんと師岡カリーマ・エルサムニーさんの往復書簡「私たちの星で」の連載は本号で一九回を数えますけれども、梨木さんにご登場いただくのは今回が最後。来月号、師岡さんからの返信をもって終了となります。
  本号から齋藤亜矢さんによる連載「ルビンのツボ」が始まりました。科学と芸術の境界で起こる「!」と「?」をめぐるエッセイに、どうぞご期待ください。
  本号の責了間際、朗報が舞い込みました。四月に刊行された佐藤正午さんの『月の満ち欠け』が、第一五七回直木賞の候補作にノミネートされました。小社刊行の小説が候補に挙がるのは、第一〇七回でノミネートされた清水義範さんの『柏木誠治の生活』以来、二五年ぶりのこと。注目の選考委員会が開催されるのは、七月一九日です。

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