栗木京子

ガスの香の漂う路地を進みおり男女二列の隊崩れつつ
(田中拓也『雲鳥』ながらみ書房)
臭いがきつい 消防法上一つしか香炉が置けない遺体安置所
(佐藤涼子『Midnight Sun』書肆侃侃房)
*  *
東日本大震災の直後から、地震や津波や原発事故を詠んだ多くの短歌がさまざまな場に発表された。短歌の月刊誌、結社誌(短歌グループが発行する機関誌)、新聞歌壇、短歌コンクール等々。被災地やその近辺に住む人たちをはじめとして遠く離れた地に住む人たちも次々に短歌を詠んだ。後者の場合は、テレビや新聞やインターネット等から伝えられる情報を基にして詠むことになる。私はいくつかの新聞歌壇の選者をしているが、入選作品を選ぶときに「作者は被災地の人なのか、そうでないのか」という点にたびたび思いをめぐらせた。いわゆる「当事者性」の問題である。基本的には、私はいろいろな立場の人が自分なりの視点から震災を詠むことに賛成である。関心をもって見つめる、そして心を寄せる。そのことが震災を風化させないための貴重な一歩に繋がると思うからである。
ただ、そう考える一方で、震災から6年余りが過ぎた現在、震災以降に発表されたおびただしい数の短歌を読み返すと、やはり後々まで残ってゆくのは当事者の方々が詠んだ作品なのではないか、という気がしている。
引用した2首の短歌は、いずれも震災直後の状況を記録した作品である。1首目の作者の田中氏は震災当時、茨城県水戸市の中学校で教鞭をとっていた。国語の授業中に大きな揺れに襲われる。生徒たちをまずグラウンドに集合させ、そののち臨時避難所になった体育館まで誘導してゆくことになった。その折に周囲にガスの香が漂っていた、と表しているところがじつにリアルである。臭い(匂い)というものは映像からは伝わって来ない。その日その時、現場にいた者でなければ捉えられない感覚である。2首目の佐藤氏は宮城県仙台市在住だが、この歌に詠まれている現実にも胸を衝かれる。遺体安置所にも消防法が適用される、という事実の重さ。そうした状況の中で一つだけ置かれた香炉の切なさ。忘れてはいけない記憶が「臭い」の背景に刻み付けられている。
(くりき きょうこ・歌人)

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