小寺隆幸

生存者は心的外傷体験によって損なわれ歪められた心的能力を他の人々との関係が新しく蘇る中で創り直すものである。
(ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』中井久夫訳、みすず書房)
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3.11後、甲状腺がんの手術を受けた150名以上の日本の子どもたちは、今どうしているのだろうか。転移への不安と、一生薬を飲み続ける重荷から自由にはなれない子どもたち。病気は原発事故のためではないと言われ、「ではなぜ? 自分が悪かったの?」と悶々と問い続けていないだろうか。手術したことを友だちにも知られたくないとひっそりと息をつめて生きていないだろうか。
私は、広河隆一さんが1991年に設立した「チェルノブイリ子ども基金」に関わり、ベラルーシとウクライナで甲状腺がんを手術した子どもと親に何度も会ってきた。親たちは、病院と連携して親の会を結成し、不安を語り励まし合い、必要な支援を政府に要求し、子どもたちへの偏見が生じないように地域に根ざした様々な活動を行ってきた。その親の姿を見ながら子どもたち同士もつながっていくことができた。
ベラルーシ政府は、汚染地域の子どもたちにはクラス単位での3週間の非汚染地域への移動教室を今も続けている。それに加えて「子ども基金」は、甲状腺手術を受けた子どもたちの3週間の保養を毎年実施してきた。子どもたちは、首の傷跡を隠そうともせず森の中で屈託なく遊び、語り合った。思春期の大事な時期に深い信頼関係を築き、その後結婚した若者たちもいる。また「子ども基金」は近年、成人になった彼らとその子どもを招く「家族の保養」も行っている。彼らは子どもへの影響の不安を話し合う中で、それを引き受けさらに前へ歩みだす。
今も、親の会・学校・医師・保養施設の専門家・心ある行政担当者などの協同が続いている。子どもたちは、大人たちが、地域が、国が、世界が自分たちを見守っているという信頼感に支えられ、仲間と結びつく中で自分の経験を意味あるものへと紡ぎなおし、生きる希望を育んでいる。
一方、福島では、放射能の不安を口にすることさえ風評被害をあおると非難される物言えぬ社会の中で、被災者は孤立させられている。手術後の子どもたちをつなぐために結成された「311甲状腺がん家族の会」もなかなか広がらない。この状況を創り出した根源は政府の棄民政策にある。
原発事故の膨大な被害を従来の法体系で救済することは不可能であるとしてロシア、ベラルーシ、ウクライナは5年後にチェルノブイリ法を制定した。それは分断された社会の連帯を回復するための政治の決断だった。甲状腺がんの子どもたちを始め被災地に住む人びとを守ることを国の優先課題とし、乏しい国家財政の中でも手厚い医療支援や保養制度を創造した。この惨事を社会全体で引き受け、何ら責任のない汚染地域の人びと、とりわけ子どもたちを守ろうという社会の合意は31年後の今も続く。
被害の全貌が未だ見えない今の日本でも、WHOの予防原則に基づいた検診体制や、子どもたちに豊かな自然体験を保障する制度などを今確立しないと手遅れになる。「子ども・被災者支援法」はその第一歩だったはずだが、現政権は一顧だにしない。日本は本当に「法治国家」、「民主主義社会」なのだろうか。原発事故の被害を子どもたちに押し付けてしまった私たちの責任が問われている。
(こでら たかゆき・数学教育研究者)

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