三島憲一

どんな時代でも伝統を押しつぶそうとするコンフォーミズムから伝統を取り上げる試みが必要なのだ。……死者といえども勝ち誇る敵の前では安全ではない。そしてこの敵は勝ち続けるのだ。
(ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」三島憲一訳)
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祖国と伝統を愛する教育などという声が政府とその周辺の御用学者たちからうるさい。今にはじまったことではないが、最近は特にボルテージがあがっているようだ。『美しい国へ』などというご著書もある方が、裏では不公正な利益誘導をしまくりながら、自衛隊の活動範囲の拡大を探っているのを見ると、ナショナリズムや、日本の伝統なるものが腐敗や暴力といかにむすびついているかがよくわかる。
ベンヤミンは、これが「伝統」であるとされているものがいかに欺瞞と暴力の落とし子であり、また欺瞞と暴力を生み出すかをよく知っていた。彼が目指したのは「伝統」を逆読みして、そうした力に押しつぶされていった人々の、実現しなかった夢を記憶のうちに保ち続けることだった。日本なら伊藤博文より田中正造の伝統だ。また古典文学にもある秩序破りの、エロスとも結びついたパワーだ。だが、変な伝統主義者ほど「文化」が好きだ。「文化財なるもので、思い起こせば身震いのしないものはない」と、ベンヤミンは同じ文章で述べている。坐禅という文化にもときどき耽る安倍首相のゴリ押しで世界文化遺産に登録された長崎県の軍艦島では、中国人捕虜や朝鮮半島出身者が過酷な労働を強要されていた。身震いしないわけにはいかない。
過酷な条件下で亡くなったからといって話が終わるわけではない。彼らはさらに無視され、忘れ去られる。「死者といえども勝ち誇る敵の前では安全ではない」。
水俣でも福島でも理不尽に亡くなった死者たちは無視され続ける。そして東電であれ、官邸関係者であれ、「この敵は勝ち続ける」。しかし、斃れた者たちへの記憶の文化だけが、斃れた者たちの破壊された尊厳を、社会的承認をかすかにであれ回復できる、とベンヤミンは考えていた。
そうした営みをする人々をベンヤミンは「破壊的性格」となづける。破壊的性格の持ち主は、ともかくすべてが気に入らないのだ。性格的にはアナーキズムそのものであるが、外からそう見えないのは、同時に冷静な理論家でもあるからだ。この理論家の特徴は不信である。「破壊的性格の……基本的情念は、起きていることへの押し殺しがたい不信の念である。そして、すべては失敗するのではないかということにいつも気をつける用意である」。政府の発言や行動に、美辞麗句にたえず「不信」を抱くことが今ほど必要な時代はない。そうした不信は個人的には「心配」や「不安」の感情となる。「不安を抱くからこそ生き延びられるのだ」とは、同じ時代を生き抜いたハンナ・アーレントの言葉だ。
(みしま けんいち・現代思想研究者)

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