佐 藤 泉

「魚は舟の上で食うとがいちばん、うもうござす。/舟にゃこまんか鍋釜のせて、七輪ものせて、茶わんと皿といっちょずつ、味噌も醤油ものせてゆく。そしてあねさん、焼酎びんも忘れずにのせてゆく。/昔から、鯛は殿さまの食わす魚ちゅうが、われわれ漁師にゃ、ふだんの食いもんでござす。してみりゃ、われわれ漁師の舌は殿さま舌でござす。」
(石牟礼道子『新装版 苦海浄土』講談社文庫)
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石牟礼道子は水俣の漁師たちが毎日魚を山盛りにして食べていたこと、彼らの「ぶえん」(無塩)の刺身がいかに贅沢な食であったかを繰り返し書いている。『苦海浄土』を読み返すたび、言葉で描かれた美味のなかで、やはりこれこそ至上の美味ではないかと思わずにはいられない。自分の取った魚で一日三合の焼酎を飲み、そのように日々を過ごした漁師はこう語る。「人間栄華はいろいろあるが、漁師の栄華は、こるがほかにはあるめえが」。
ここには幾重にも深い逆説が折り畳まれている。その刺身がたいへん美味しく、そうであるからこそ海辺の人々は気づかぬうちに魚に蓄積された水銀を大量に摂取し、そして人々の身体は取り返しがたくそこなわれた。もし不知火海の魚が不味かったら、あるいは有害物質によって魚の味が変わっていたら、患者たちも患者にならずに済んだのだろうかとも考えてみる。だが、生の喜びである食について、いっそ不味ければよかったのにと思うのは深い倒錯であるにちがいない。
水俣病が世間に知られるようになったころ、取材にやってきた記者や学者は、漁師の豊かさを理解することができなかった。彼らは値段をつけて売っている食品しか知らず、漁師の食の豊かさを計る尺度を持ちあわせていない。だから、彼らからすれば漁師の生は「貧しく」、その日の米もない漁師たちは毒の魚を食べるほかなかった、という説明になる。ここには何か、歴史の深い断層のようなものが横たわっており、私たちはその深淵に墜落するような思いにとらわれる。
福島の原発事故の後、あまりに多くのものが失われ、いまも日々何かが失われ続けている。避難指示解除前の飯舘村をバスで通りぬけたとき、どの家もカーテンを閉じ、しんと静まりかえっていた。南相馬の町から海の方角へ歩いていくと、そこからは何もない空間が広がっていた。私には言うべき言葉がない。その私もまた何か重要なものを失っているのだろう。原子力発電所が崩壊する以前、あるいは水俣の海が病むよりずっと以前のどの時点かで、この社会、この国家は、決断も熟慮もなくある「豊かさ」を選んでおり、そこに一切の価値が吸収されるという原則を是認していた。漁師の栄耀栄華を理解する力を失った。
潮で炊いた飯の香、舟の上でさばいた魚、その豊かさの質を、私は石牟礼道子の言葉を通してかろうじて味わうことができる。けれど私は、本当には何が失われたのかがついに分かっていないのかもしれない。それが、恐ろしい。
(さとう いずみ・日本文学研究者)

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