小谷みどり

あの晩、車のフロントガラス越しに見えた夜空は、見渡す限り満天の星空でした。(中略)まるで、「忘れないで」と言わんばかりに一つひとつの星たちが語りかけて来たような気がします。どんなにか生きていたかったか。
(仙台市の葬儀会社、八善堂の片平善弘さんの文章『弔鐘──宮城県葬祭業協同組合の活動記録 :
3.11東日本大震災』宮城県葬祭業協同組合より)
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葬送問題を研究する私は東日本大震災後、幾度となく、名取市閖上(ゆりあげ)地区に足を運んだ。閖上地区だけで犠牲者は800人近くもおり、木造住宅はほぼ全てが流された。
地区に2つあったお寺は倒壊し、墓地に並んでいたお墓は、大きな墓石ごと津波に流され、地面に基礎の穴が残っているだけだった。墓石の下に安置されていた遺骨もすべて流された。自宅にあった仏壇や位牌、写真もすべて失った住民たちは、先祖に手を合わせる物や場所がすべてなくなったことを嘆いていた。仙台市内のお寺の境内に設置された仮の納骨堂では、東日本大震災で亡くなった人たちの骨壺が、苗字のあいうえお順に並べられていた。慣れない仮設住宅での生活のなか、多くの遺族が犠牲者に会いに日参し、故人の好きなお酒やお菓子を骨壺の前に供えていた。
仙台市内の別の集落の墓地でも、多くの墓石が流された。住民たちは、海までは流されなかった墓石を見つけ、墓地に運び、そこに花を供えた。遺骨がなく、墓石だけであっても、残された人にとっては、そこが故人と対峙する大切な空間なのだということを、改めて思い知った。
すべての人はいずれ、死を迎える。しかし残された者にとっては、死者はいつまでも心の中で生き続ける存在となる。片平さんが感じた、「忘れないで」という犠牲者たちの願いは、死者を「生者を見守っている存在」にすることで叶えるしかない。同時に、それは残された者の生きる原動力にもなる。生前の故人のことを思い出してくれる友人や家族がいる限り、死者は社会的には死んでいないともいえる。私たちが死者の思いをつないでいくために、死から何を学ぶか、が問われている。
(こたに みどり・死生学研究者)

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