思想の言葉(『思想』2017年9月号)

変貌するロシア思想――伝統とアクチュアリティ

桑野 隆


 ロシア革命一〇〇年にあたる本年、折しも二月に『二〇世紀ロシア思想史――宗教・革命・言語』を上梓することができた。

 その「あとがき」にも記したが、「二〇世紀」という区分でロシアの思想史を書くという発想は私にはまったくなかった。一九一〇年代から三〇年代初頭くらいまでの思想地図ならば思い描けるが、それ以外の時期を含めた通史など思いも寄らないばかりか、適当なモデルを目にしたこともなかった。にもかかわらず、編集者が提案してくれたテーマに魅かれ、挑戦してみることにした。そして試行錯誤を重ねながら執筆していくうちに、予想以上に通史らしくなってきたというのが、本当のところである。また、そのような通時面だけでなく、共時面でも個々の事象がこれまで言われていた以上に相関しているさまを明示できたことも、成果であった。

 とりわけ「革命期」、すなわち一九一七年の前後それぞれ一五年ほどに関しては、既成のものとは異なる思想地図が描けたものと思われる。この時期は、じつに多様で独創的な思想が入り乱れていると同時に、それらのほとんどが ― 革命に賛同するか反対するかの如何を問わず ― ロシア革命と緊密にむすびついている。全一性の哲学、建神主義、ロシア・コスミズム、ロシア・フォルマリズム、アナーキズム、ロシア・アヴァンギャルド芸術、ユーラシア主義 ― これらはいずれも、スターリン時代に表舞台から消えてしまったものの、ほぼすべてが革命的状況のなかで新しい思想を構築しようとする意欲の現れであったことに変わりない。むろん、レーニンやトロツキー、ボグダノフら政治の革命家の思想もこの地図に欠かせない。思うに、このような諸々の思想の絡み合いを鮮明にすることができたのも、二〇世紀のまさに冒頭から捉え返したからであろう。

 興味深いことに、昨年ロシアで刊行されたゼンキン編の論集『一九一〇年代から一九三〇年代にかけてのロシアの知的革命』の序でも、この時期を「ロシア理論」の形成期と位置づけ、それらの理論が「世界の人文諸科学を大きく飛躍させた先駆的な原動力の一つ」となったと高く評価する一方、知的革命が「政治革命によって一定程度用意されるとともに、みずからも政治革命を促した」ことが強調されている。このように、知的革命と政治革命の相互関係を改めて捉え返そうとする試みは、政治や社会からの一方的規定に陥ることを警戒してきたここ数十年の傾向からすれば、目新しい。各論考で具体的にとりあげられているのはロシア・フォルマリズムやバフチン・サークル、ヤコブソン、フロレンスキー、シペート、ロシア・アヴァンギャルドその他であり、拙著にも登場する諸「理論」である。また、ここでいう「知的革命」には、思想そのものだけでなく、既成の大学やアカデミーの枠を超えたサークルや研究会などの活性化が含まれている点も注目される。革命的状況のなかでこそ、旧制度に代わる新しい知の生成組織が形成されたことも、重視しているわけである。思想そのものだけでなく、思想を生成する運動体にも注目してきた私としては、この論集でとられているアプローチには共鳴できる点が多い。

 もっとも、拙著の場合は、「知的革命」というこのアプローチを「理論」以外にも拡大適用しており、革命的状況のなかでこそありえたであろうラディカルで独創的な人文知を広範にとりあげていることになろうか。

 ちなみに、やがて構造主義や記号論において先駆者となっていく ― 二人言語学者・詩学者ヤコブソン(一八九六―一九八二)と民俗学者ボガトゥイリョフ(一八九三―一九七一)―が一九二三年に公刊した著書は、まさに『戦争と革命の時代のロシアにおけるスラヴ言語・文学研究』と銘うたれていた。時代が「戦争と革命」のなかにあるだけでなく、ロシアにおけるスラヴ研究もまた劣らず「革命的」であることを西欧に発信しようとしていた。二〇世紀ロシアの三〇年代初頭あたりまでの思想界は活況を呈しているとともに、その先駆性を誇っている。

 それにくらべると、たしかに、その後の約半世紀の思想状況は多様性や斬新さに著しく欠ける。イデオロギーとしてのマルクス・レーニン主義しかなかった「空白期」であるとみなす者も少なくない。ただし、こうした「空白期」説は、ロシアにおける「哲学」の現状を如実に示すものでもある。

 一九八六年に開始されたペレストロイカによって、ロシアの思想状況は再び活気を帯び、かつては禁止されていた文献が相次いで刊行され、情報が公開された。それらを踏まえた歴史の見直し作業は思想史にも及んだ。その成果は、やがて二一世紀に入ると、「ロシア哲学史」という言葉を書名に含む本が一〇種類近く刊行されたことにも表れている。ただしこれらの書籍の多くは、取りあげる対象を、ロシアにおける哲学全体ではなく、いわゆる「ロシア哲学」、すなわち宗教哲学にほぼ限定していた。「ロシア哲学」は、近代西欧哲学に特徴的な理論主義、理性主義を批判する一方、神的世界を理想としていた。その意味では、宗教や神学との境界が曖昧なものであった。こうした立場からすれば、「ロシア哲学」の淵源はロシア正教が普及しはじめた一〇世紀ないし一一世紀のロシアに求められることになる。この系譜は、一九二〇年代前半にソ連政権の弾圧により断ち切られたことになり、したがってソヴィエト時代を哲学史に含める必要性はないことになる。

 たとえば約六五〇頁からなる大学教科書、エヴラムピエフ著『ロシア哲学史』(改訂増補版、二〇一四年)では、二〇世紀に約四〇〇頁が割かれているが、そこに登場するほぼすべてが宗教哲学者である。最後に三〇頁弱だけ「ソヴィエト期における哲学の展開」なる章が設けられ、「ロシア・マルクス主義」「ソ連における非マルクス主義哲学 ― バフチンとママルダシヴィリ」「ロシア・ソヴィエト芸術における哲学思想 ― プラトーノフとタルコフスキー」がとりあげられている。作家プラトーノフと映画監督タルコフスキーに関しては、「ロシア哲学」との親縁関係が強調されている。

 この例に限らず、一九九〇年代以降、ベルジャエフ、ブルガコフ等の宗教哲学者の著作が多くの読者を集め続けているという事実は、ロシア国家そのものについてと同様、ロシア正教との関係抜きには説明しきれないであろう。ここからは、いまなお「宗教哲学」が優勢であり、「世俗哲学」が十分に力をもちえていない現実が看取される。哲学界においても、ロシア革命前の世界への「復古」の期待は消えていないということであろう。ちなみに、両者は互いを「哲学」とみなしておらず、われこそが「哲学」であると主張している。ことに「宗教哲学」は、西欧哲学との違いだけでなく、ロシアの「閉鎖性」をもむしろ誇りにしている。依然として、かれらのいう「自由」や「人格」等々の術語はロシアの外への「翻訳」がむずかしい。

 もっとも、ペレストロイカ後の以上のような状況は、狭義での哲学、それももっぱら「哲学史」関係の書物を中心に見た場合のことでしかない。これに対し拙著では、ソヴィエト時代のモスクワ・タルトゥ学派、文芸批評、異論派その他も「ロシア思想」に含めた。こうした動きをも考慮に入れるならば、少なくとも一九五〇年代以降の思想状況はけっして一枚岩ではない。また、そこには「宗教哲学」とも伝統的な「世俗哲学」とも異なる ― リベラリズムを中心とした ― 「思想」が孕まれていたことも、重視すべきであろう。

 さて、二一世紀のロシアでもうひとつ興味深いのは、いまなお伝統的に「哲学」の収容範囲が広いことである。二〇〇七年から二〇一五年にかけて、ニゴロフ編で『今日ロシアで誰が哲学に携わっているか』という計二〇〇〇頁近い三巻本が出たが、そこでは神学、芸術、文化学、言語学、記号論、文学、論理学、音楽、政治学、心理学、社会評論、社会学、哲学その他の分野から百人近くの「思想家」が登場し、持論を展開している。これは、ロシアの「思想の現在」が一望できる貴重な企画であると同時に、そこで披露されているあまりに多様な「哲学」観に眩暈をおぼえないでもない。

 ただ、そうしたなかでひとつ注目したいのは、二〇世紀の「革命期」に見られたような、社会との緊密な関係を重視する動きである。スターリン批判以降も「世俗哲学」に希薄であった現代社会批判の姿勢が、新しい世代の一部には認められる。とりわけ、ロシアだけでなく欧米圏にも活動拠点をもつ者たちにその傾向が目立つ。はたしてこの者たちがロシアの現実にいかに対応していくのか、今後の展開を注視したい。

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