読む人・書く人・作る人(『図書』2017年9月号)高橋 敏さん

一茶の遺産相続

高橋 敏


 一茶といえば、三歳で実母に死別、継母にいじめられたまま子の境遇に育ちながらも幼子や雀・蛙の小動物にまで愛情を注いだ好々爺のイメージが先行する。ところが真逆な人間像が露わになる遺産相続が実在する。一五歳で故郷北国街道柏原宿から江戸に出た一茶は、二四年後の享和一年父弥五兵衛の重病を知り帰郷して異母弟弥兵衛と家産を二分割する遺書を取得する。この間一茶は生家を放擲し、もり立てたのは働き者の継母さつと弥兵衛であった。四半世紀も江戸で気ままに暮らし、突然現れて重篤の父からせしめた遺書を突きつけ、分割相続を迫る一茶に弥兵衛とさつは怒りを爆発する。近所親族は勿論宿住民は皆弥兵衛家族に同情し、暴力沙汰には至らずとも村八分同然に無視した。それでも一茶は諦めず相続を履行する契約証文を取り付け、最後は江戸訴訟をも辞せずと脅かし、粘りに粘って五一歳の文化一〇年柏原宿の屋敷の真半分を留守中の家賃元利まで上乗せして毟り取って帰住した。一枚の遺書が堂々罷り通っていく柏原宿はどうなっているのか。

 その根源は、慶長三年石田三成が策した豊臣秀吉最後の賭け、上杉景勝会津転封による徳川家康包囲作戦に遡る。三成が直江兼続と断行した北信濃の兵農分離、村には百姓だけが残り、家来に連なる中間・小者等すべてが会津に去った。北信濃から武士はいなくなって百姓だけの読み書き算用の契約文書がものいう村が誕生し、一世紀後、嫌われ者一茶でも遺書にものいわせる、兄弟が絶縁に至る今時の遺産相続と見まがうばかりの根生えの近代が生まれていた。

(たかはし さとし・江戸時代史) 

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