石 川 梵

「山は父、海は母、おっかさんがちょっと怒ったんだから、しょうがないんだよ。前を向いて生きるしかない」
(菅野啓佑さんの言葉)
*  *
陸前高田で家と姉を失った菅野啓佑さん(76歳)は、震災から5年目の2016年3月、海を見ながら私にそう語った。
菅野さんと出会ったのは、2011年4月下旬、まだ余震が続く被災地の陸前高田を取材していたときのことだ。瓦礫の中に鯉のぼりを見つけ、車を停めてそばへ行った。鯉のぼりの袂には初老の男性が佇んでおり「なあに、みんなが元気になればいいと思ってね。瓦礫の中で見つけた鯉のぼりを立てたんだよ」と話してくれた。
蔵もあったという菅野さんの家は津波で消失していた。避難した近所の小学校の校庭では、押し寄せてきた黒い波に多くのお年寄りが呑まれたという。
「鯉のぼりの季節が終わったら、大漁旗を立てたい」と菅野さんはポツリと言った。「何か元気になるものが必要なんだ」そして「黄色い布を飾りたい」と
「こんなところだと手に入れるのも大変でしょう」と、黄色い布を調達することを私は申し出た。そして菅野さんに別れを告げ、次の被災地へと向かった。
それから2週間後、東京へ帰ると、NPOの友人がメールに写真を添えて送ってきた。見ると、瓦礫の大地に無数の黄色い布を靡かせた旗が立っていた。
どこかで見たような光景だった。
それは映画のワンシーンだった。
それからしばらくしたある晩、我が家に電話がかかってきた。「映画監督の山田洋次と申します。あなたの写真集を見たのですが……」
大監督からの突然の電話に驚いた。あれから陸前高田を再訪した私は、旗の写真を自著の最後に掲載していた。山田監督はその写真に感銘を受け、応援する旗を隣に立てたいと私に語った。
気仙大工の菅野さんは若い頃、夕張炭鉱で出稼ぎをしていたことがある。ちょうどその頃、「幸福の黄色いハンカチ」が封切られ、現地で観て感動した。その映画の記憶が蘇り、ある願いを込めてこの旗を立てたのだった。
「きっとみんながまたこの土地へ帰ってこれるように」
映画の中では、殺人事件を起こし、刑務所に入った高倉健が、妻である倍賞千恵子にこんなことを手紙に書いて送った。「出所しても俺を待っていてくれるなら、庭の鯉のぼりの竿に黄色いハンカチを飾っていてくれ。もしハンカチがなかったら、俺は2度と、この家の敷居はまたがない」
数年後、出所し、おそるおそる家の近くまで来た高倉健は、庭に飾られた無数の黄色いハンカチを目にすることになる。
大漁旗は、気仙では福来旗(ふらいき)と呼ばれ、新造船の進水式で飾られる。新しい旅立ちと安全を祝う旗だった。
「海は母、おっかさんが怒ったんだからしょうがない」
嵩上げ工事で黄色いハンカチの旗は撤去されてしまったが、その旗は菅野さんの心の中で今も風を受けてなびき続けている。
(いしかわ ぼん・写真家)

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