山本宗補

被災地から遠く離れた私たちは、わずか1年半で忘れようとしている。これはまさしく棄民ですよね。棄民政策というものがないとしても、棄民が現実の問題として起きているわけです。〔中略〕この本でも少し触れましたが、浪江町の吉沢〔正己〕さんのお父さんと飯舘村の開沼幸一さんの両親は、満蒙開拓団の一員でした。
(「山本宗補氏に聞く、『鎮魂と抗い――3・11後の人びと』」『図書新聞』2012年12月22日)
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世間では信州人は理屈っぽいといわれている。東日本大震災、東京電力福島原発事故から6年半経った今年9月、東京での生活を切り上げ、生まれ故郷の信州、御代田町(みよたまち)に引っ越した。高校を卒業して以来の信州人に戻った。だが、フォトジャーナリストを引退したわけではなく、連れ合いが定年退職したことが区切りだ。30歳を過ぎてからフォトジャーナリズムの世界に足を踏み入れ、まだこの道30年余。来年で65歳となるが、体力は衰えていない。
御代田町は活火山として名高い浅間山の南麓に位置する高原の町。軽井沢町、小諸市、佐久市に囲まれている抜群の自然環境の只中にあり、御代田は高原野菜、佐久平は水田地帯が広がる。原発事故後の福島県を取材で走る度に思うのは、信州の山や川、里山や水田地帯によく似た美しい田園風景を素直に受け入れる楽しみを奪い取った放射能汚染の酷さだ。人は大切なものは失って初めて気づく。
引用文で紹介した『鎮魂と抗い』は、3・11後の被災地通いの記録を一冊にまとめたものだが、出版後も福島県の取材は続けてきた。しかし、人は忘れやすい生き物でもある。歳月の経過に加え、安倍首相の東京五輪招致成功を大きな契機として、大手メディアは東京五輪一色の報道となり、原発に関する批判的報道は減った。人々の原発問題に対する不安がふたたび他人事となるとともに、頻繁に取材に通った国会前の反原発の抗議行動や脱原発集会への参加者は減り続けた。
電力会社にとり原発再稼働に反対する抵抗勢力の声は小さくなったといえる。国民の声に聴く耳を持たない安倍首相は、原発の再稼働と輸出に反対する市民の声などももちろん無視。選挙の度に福島県で第一声を発する露骨なパフォーマンスは、鏡で自分の顔を見てうっとりするナルシシストなればこそと思えばわかりやすい。
歳月の経過はフリーランスのジャーナリストの継続取材に、とてもやっかいな現実問題として立ちはだかる。取材の視点を変えるなどの工夫が足りないといわれればそれまでだが、若干の原稿料、依頼される写真展や講演会などを除き、本業で生計を立てつつ取材を続けることがますます困難になってきた。財布の枯渇は取材の質の低下につながりかねない。ここ数年はアルバイトで取材費を捻出する非正規労働者の一員として、心細さと格差社会を強く実感している。国は国民が生活のために政治を顧みる時間も心の余裕も持てないように仕向けているのではないか、と私は思っている。
東京は3・11の被災地に通うには至便な距離にあった。信州に身を置いた今、被災地が、抗議集会が、いろんな意味で遠くなりかけている。とはいえ、長野県は満蒙開拓団を全国一送り出した県。「棄民」の記憶が忘れられることはない。原発事故による「棄民」に抗う被災者の個々の生き方を今後も継続取材できるかどうかは、権力に抗うぶれない生き方を私自身が続けられるかどうかにかかっている。
(やまもと むねすけ・フォトジャーナリスト)

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