青 木 理

蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜
(桐生悠々)
*  *
東京・府中市の多磨霊園に、桐生悠々は永眠している。その墓の一角に、この句の刻まれた小さな石碑が立っている。
悠々については、あらためて詳述の要はあるまい。1873(明治6)年に金沢で生まれた悠々は、大阪毎日新聞や東京朝日新聞などで記者生活を始動させ、信濃毎日新聞の主筆時代には「関東防空大演習を嗤ふ」などを書いて軍部の憤激を買った。これによって主筆を追われたのちは名古屋へと移り、たびたびの発禁処分にもめげず個人誌『他山の石』の刊行をつづけた。
世を去ったのは1941(昭和16)年の9月。日本が太平洋戦争に突入するわずか3か月前のことであった。またも発禁処分となった最終号の『他山の石』に、次のような一文を書き遺して悠々は逝った。
〈…この超畜生道に堕落しつゝある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候も唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候〉
まさに暴風吹きすさぶ嵐の夜、懸命に鳴きつづけた悠々の記者人生。ジャーナリズムの役割をつきつめれば、この句にすべてが凝縮されていると私は思う。
そして現在。
3・11と称される東日本大震災と、それによって引き起こされた福島第一原発の事故は、天災と人災が複合した未曾有の大惨事、文字通りの大嵐だった。しかし、その肝心な時、この国のジャーナリズムは残念ながら評価を下げた。本当のことを伝えていないのではないか、と疑念を抱かれ、どう考えても洛陽の紙価を落としてしまった。
その後も嵐はつづく。特定秘密保護法、打ち捨てられた武器輸出三原則、集団的自衛権の行使容認に道を開く安保法制、共謀罪、軽んじられる議会、崩れ落ちる立憲主義、時計の針を逆行させるかのごときうごめきの数々、消え入りそうな戦後の矜持。
だというのに、すでに過半のマス・メディアは鳴くことをやめ、いいぞいいぞと鐘を鳴らして提灯行列に舞っている。残る過半のマス・メディアも、かろうじて鳴き声をあげているようには見えるけれど、内心ではびくびくとおびえ、あまり大きな音で鳴きすぎないように自制の雰囲気を漂わせている。
吹く風は激しさを増している。なのにお前たちは、鳴く蟋蟀たりえているか。いや、そもそも本気で鳴こうとしているか、鳴くことが役割だと心得ているか。
先日、悠々の墓を訪ねた。秋空の下、そう問いかける蟋蟀の激しい鳴き声が、どこからか聞こえてくる気がした。
(あおき おさむ・ジャーナリスト)

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