思想の言葉(2018年1月号)

甦る魔女

池上俊一


 魔女がふたたび蠢きだしている。あちらにも、こちらにも。映画やテレビ、ゲームの世界で、あるいは書店の棚(絵本、オカルト本、魔女本コーナー)に、魔女たちが無視できない版図を占拠している。巷では魔女セミナーが人気を集め、そこでヒーリングや占いの術をマスターして「私は魔女よ」と呟けば、美魔女ならずとも周りの人たちから持て囃されるほどだ。これらは現代風俗や大衆文化の表面で広がっている魔女ブームと言えようが、一見その邪気のない振る舞いは案外根が深く、行き詰まった現代文明に抗したいという無意識の欲求、どうしようもない鬱屈の捌け口を求めているかのようでもある。
 その起源となった人物の一人は、ドイツ民族学・言語学の祖ヤーコプ・グリムだろう。というのも彼は一九世紀半ばに、かつて魔女のレッテルを貼られたのは、実際はキリスト教以前の異教の信徒で、伝統や人々の知恵を保存した「賢女」だったとしたからである。そうした学問的な権威に力を得た右翼民族派運動(フェルキッシュ運動)は、一九世紀末以降ヴァイマール期(一九一九―一九三三年)にかけて、魔女をドイツ民族、まさにキリスト教文明に汚される前の純粋で自然の霊気をタップリと吸収している民族ないし人種の守護者と位置づけた。それはナチス・ドイツの「過去政策」Vergangenheitspolitikに媒介されていよいよ勢いを得、ヒトラーの側近ハインリヒ・ヒムラーは、純粋な血統の優良なる人種の育種を推し進めた魔女に並々ならぬ関心を抱き、自分の指揮下の親衛隊(SS)とともに、訴追され処刑された魔女を調べ上げ、一人ずつカードに情報を記入していったのである。また一九五〇年代にイギリスで始まり、アメリカへと広まっていったウィッカ信仰は、キリスト教以前の多神教を復興させると称し、生きた地球とその自然を司る主神たる女神を崇拝する「新しい魔女」の集まりである。多くの分派に分かれつつ、総勢数十万人に上るとも推定される。
 かたや後進国・発展途上国でも、大量の魔女が現れている。こちらは救いをもたらす魔女ではなくて、近世ヨーロッパとおなじく、害悪魔術の張本人として迫害される魔女である。すなわちインドでは、現代でも何百人という女性が村レベルで妖術を告発され殺される事件が多発している。さらにアフリカでは植民地支配から脱した後でも、とりわけサハラ以南の国々で、夥しい数の人々が妖術の廉で迫害されつづけている。迫害が流行病や経済危機ばかりか新来の諸教会や政党の方針・宣伝とも絡んでいる事実は、「魔女と近代性」の関係への深い反省を迫っている。
 こうした生身の魔女の再来がある一方、現在、専門的な魔女研究も騎虎の勢いで発展を遂げている。それは、北欧・東欧を含めヨーロッパのどの国の歴史学界でも、近世史の中心に躍り出た観がある。専門学会設立や国家的な魔女研究プロジェクトが各国で進められ、多くの研究書・論文集のほか百科事典、新たな史料の編纂もつぎつぎ行われている。専門雑誌『魔術、儀式、魔女』Magic, Ritual, and Witchcraftも、二〇〇六年にアメリカの研究者を中心に発刊され始めた。魔女研究は今、新たな形の文化史の展示場といった趣を呈している。
 ヨーロッパ全体を見渡すと、すでに数十年前から文化人類学と社会学の影響で、魔術を社会的構築物の一部とし世界観や日常生活での意義をめぐって評価する動き、農耕儀礼やシャーマニズムとの深いがりを想定する考え方(キース・トマスやカルロ・ギンズブルグ)が生まれ、その方向性で多くの研究がなされた。それと並行して、実証的な史料・文献調査と、地域内部の社会関係や力支配の問題として魔女迫害を位置づける方法が根付いた。この点、とくにアメリカのエリック・ミデルフォートは、ドイツの古文書史料を博捜し、魔女迫害の舞台を整えた法的・行政的関係を具体的に解明して影響が大きかった。エリート文化と民衆文化の相克や文化変容の議論の中に魔女を位置づけるアプローチ(ロベール・ミュシャンブレ)は、フランスがリードしている。
 以上のように、およそ一九七〇年代から魔女研究は一種のブームを迎えていたのであるが、それが一層組織的な研究の集積として発展していったのが九〇年代以降である。その特徴は以下の三つにまとめられる。
 第一に、新たな史料発掘と校訂、そして地道な実証的「地域研究」である。スイスのローザンヌ大学のグループは魔女に特化した叢書を出版し、ドイツにおいても史料の発掘公刊とそれに基づく研究が精力的に進められている。裁判記録はもちろんのこと、裁判に関わる原価計算リストや都市参事会議事録における処刑記録からも、魔女に関する情報が得られるとして、調査が進んでいる。こうした地道な地域研究の積み重ねは、徐々に魔女像を変えていくことであろうし、迫害の規模や地理的な偏差も次第に明らかになってきた。
 またドイツに着目した場合、法制史・国制史的なアプローチが顕著である。この国では社会的規律化論や宗派化論などが、近世を論じる上で避けて通れないということで衆目の一致をみているが、それが魔女研究にも当てはまることが確認されたのである。またミクロな地域史研究と並んで国家形成というマクロな問を立て、それに対する解答を導き出すきっかけとしての魔女裁判・迫害に注視する流れもある。そしてそれまで常道だった刑事司法における例外犯罪としての魔女・妖術の扱いを相対化し、他の多くの犯罪との手続きの同一性が力説され始めている。また上(支配者・司法当局)と下(被支配者・共同体)を媒介する魔女裁判監督官や魔女委員会に注目が集まっている点も、特筆すべきだろう。
 だが魔女の「地域研究」は、まさにヨーロッパを越えて世界の他地域、とりわけアメリカ大陸へと飛び火することで「グローバル・ヒストリー」へと転生していったことも見落としてはなるまい。ここでは人類学的なアプローチで、ヨーロッパと非ヨーロッパ世界の共通基盤が探されている、と看做したらよいだろうか。
 北アメリカに魔女狩りをもたらしたのは、イギリスからの移住者たちであった。一七世紀のニュー・イングランドでは、一六九二年の悪名高きセイラムの魔女狩りを除いても――そこでは一五〇以上の正式の告発があった――六〇以上の裁判があった。ピューリタン信仰が悪の力の虜になるその様式、植民地のコンテクストで魔女狩りがいかに機能したかなどに研究者たちの関心が集まっている。一方、中南米では魔女現象はより複雑な様相を見せた。植民地開拓者と宣教師がヨーロッパの魔女についての観念を携えて来たのだが、同時に彼らは、原住民からその呪術概念や実践を受け取るという相互作用があったし、一六世紀後半には多くのアフリカ人が奴隷として中南米諸国に連れてこられ、それによりさらに別種の魔術観念が加わったからである。ヨーロッパ的な魔女概念を拡張すれば、アメリカ大陸ばかりか、近現代のアフリカ、アジアを対象に人類学的な魔女研究を実践することが可能だし、実際に行われ始めている。
 第二の特徴は「学際性」ということになろうか。魔女研究は、学際的研究とじつに相性がよい。歴史学、神学、人類学、民族学、社会学、法学、医学、心理学、宗教学、文学、美術史学や――女性史に替わる――ジェンダー研究などが、それぞれ少なからぬ貢献をしている。最近では、魔女の図像への着目が目を惹く。宗教改革・対抗宗教改革時に多数作られたパンフレット類を中心に、版画・絵画に描かれた魔女の図像は多数に上り、印刷術の発展とともに広まった。それは作り手側の意図と併せて、受け手がどう受け取り解釈したか、文字で記述された魔女文献とはどう関わるのかなどが、近世ヨーロッパのメディア論の枠組みで研究されている。
 最後の第三に、「感情史」との関わりにも触れておこう。一九八〇年代半ばから、アナール派の心性史や感性史に替わってアメリカを中心に台頭してきた感情史だが、その波が魔女研究にも押し寄せたということである。魔女告発の背後には、共同体内の社会関係における公言しがたい緊張・対立・敵意があるが、裁判という非日常的な場で、被告も裁判官も日頃隠されている感情をき出しにする場面がある。他の時には触知できずみ所のない感情が、露わになる。魔女告発や証言時には、近隣者の間に日常的にある憎悪や恐怖、嫉妬や怒りが言葉にされることがあるのだ。だが拷問中の呻きのなかで、家族への愛・献身を吐露する被告もいる。
 歴史研究のさまざまな新手法を駆使するのにまさにピッタリ適合した魔女は、今日の歴史学の中枢に確固たる地位を占めつつある。脱魔術化したはずの近代が再魔術化しつつある現在、堅実で理性的な魔女研究が、不合理の淵に人類が落ち込むのを防ぐ防波堤になることを願うばかりである。

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