岩波新書創刊80年

〈岩波新書〉創刊 * 1938年11月20日

読者の皆さまに支えられ,岩波新書は今年で80年を迎えます.


新書創刊時



〈岩波新書創刊のころ〉

 1937年,日中戦争がはじまったころから,社内に新しい叢書を作ろうという計画がもちあがり,翌38年に入って決定し,3~4月ごろから原稿を執筆者に依頼し始め,原稿用紙200枚を標準にして全巻書きおろしを原則として,創刊の準備が始まりました.

 岩波文庫が古典の普及を目的としたのに対し,新しい叢書、岩波新書は今日の問題に焦点を合わせ,〈現代人の世界的教養〉をモットーとし,当時の国粋主義や国家主義の跳梁に対して,世界的な視野と科学的な思考とを読書界に招じ入れたいという狙いで編集を行ないました.

 1938年の夏休みには20点近い原稿が集まり,9月に入って印刷にかかり,装幀も児島喜久雄氏に依頼しました.当初は赤,青,黄緑,セピアの五色になる予定でしたが,岩波茂雄の主張で赤一色と決まりました.判型はペリカンブックス,ペンギンブックスと同型です.

 扉の四人の子どもが風を吹いている絵は,レオナルド・ダ・ヴィンチの素描をヒントにしたものといわれ,ギリシアの風神を表わしています.右上から風の方向に,eurus(東),boreas(北),zephyrus(西),notus(南)の順に描かれています.

新書扉


 叢書の名前としては,いろいろな名称が提案され,長田幹雄の案《岩波新書》に決定したのは,9月20日のことでした.

 そして11月20日,第1回目の刊行は20点同時の発行となりました.定価はすべて50銭でした.初版はいずれも1万部以上印刷しましたが,世に歓迎され,たちまち売り切れになりました.

 岩波新書の創刊に際しては,それが岩波文庫と並んで携帯に便利な普及版の書籍であることから,文庫の売れ行きを低下させるのではないかという危惧もありましたが,発売されてみると,それは杞憂でした.

 岩波新書の第1冊目にクリスティー『奉天三十年(上・下)』(矢内原忠雄訳)をおいたのは,満州の民衆のために献身的に奉仕した一伝道者の生涯を紹介することによって,当時の日本の満州国建設に対する批判の意をこめるためでした.このような形の抗議ですら,当時は大変勇気を要することでした.


矢内原忠雄
(訳者の矢内原忠雄)


 発刊の辞は岩波茂雄が書き,当時の国内体制について憂慮を禁じ得ない旨を述べましたが,当時としては激越な言論とされ,右翼から非難を受けることとなりました.


創刊の辞

 けれども,戦時中ながら1944年までに岩波新書は98冊を刊行することができ,刊行の意図は,多くの読者の皆さまから支持をいただく結果となりました.

 そして2018年現在に至るまで,岩波新書は読者の皆さまに支えられています.

創刊20点

(創刊第1回の20点)

『奉天三十年(上・下)』クリスティ/矢内原忠雄 訳
『支那思想と日本』津田左右吉
『天災と国防』寺田寅彦
『万葉秀歌(上・下)』斎藤茂吉
『家計の数学』小倉金之助
『雪』中谷宇吉郎
『世界諸民族経済戦夜話』白柳秀湖
『人生論』武者小路実篤
『ドイツ 戦歿学生の手紙』ヴィットコップ/高橋健二 訳
『神秘な宇宙』ジーンズ/鈴木敬信
『科学史と新ヒューマニズム』サートン・森島恒雄 訳
『ベートーヴェン』長谷川千秋
『森鴎外 妻への手紙』小堀杏奴 編
『荊棘の冠』里見 弴
『瘤』山本有三
『春泥・花冷え』久保田万太郎
『薔薇』横光利一
『抒情歌』川端康成






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