毬谷友子

わたしたちが中継した生命は地球最後の日までたしかに続いてゆく。つまりわたしたちは、生命の永遠の連続の、とある中継点で生きているのである。わたしたちはこれまでの生命の連続のすべてをぐっと引き受け、できればその連続になにかましなことを一つ二つ付け加えて、あとはすべてを後世に託する。
(井上ひさしの言葉「井上ひさしbot @inouehisashi」2017年11月9日)
*  *
3.11からもうすぐ7年。毎日のように世界中から飛び込んで来る、新しい悲しいニュースの中で3.11がもたらした現実が人々の記憶から、ほとんど忘れ去られて来ていることに心細くなる時があります。
「あの日の前日までが、本当の人生だった。」
「今の人生は、何かの間違いとしよう。」
……止まったままの時計を抱えて生きている人たちが、今、どれだけいることだろう。
忘れられない映像がある。
震災から数日後、遠くまで続く瓦礫の山の中、ご自宅があったであろう場所で私財の整理をしていた初老の男性にテレビのレポーターがこう言った。
「あ、仏壇!  出てきましたよ!」
「捨てちゃって。そんなもん。」仏壇を見ることもなく、感情を荒げるでもなく彼は黙々と片付けを続けていた。
「神様。いくらなんでも、これはちょっとやりすぎじゃありませんか?」
当時の私は何回も天に向かってつぶやいていた。ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の主人公テヴィエのように。
今なお、仮設住宅で人生を送っている人たちがたくさんいる。
彼らは毎朝、どんな気持ちで目覚めているのだろう。どんな気持ちで晩御飯を食べているのだろう。
とりわけ、自然豊かな福島の地で、毎晩笑い声に包まれながら家族で食卓を囲んでいた人たちのことを思うとどうにもこうにもやりきれないのです。
目に見えないだけで、F1(福島第一原発)はなにひとつ収束していない。今、この瞬間も汚染水は海に流され続けている。
とうの昔に耐用年数を終えたフレコンバッグが山積みにされた家の前では、破れた穴から草が生えている。
何も知らない草は、その土に根を張り太陽に向かって伸びている。
やがて実を結び、どこか知らない場所に運ばれて行くのだろう。
青い海の中で、魚や貝はどんな子供を産んでいるのだろう。
人間のいない森で駆け回る鳥や獣や虫たち。
人間の脳には、「正常性バイアス」という機能がある。
自分にとって不都合な情報を無視する。見たくないものは見えない。信じたくないものは信じられない。
災害の記憶は風化し「まだ大丈夫だろう」という楽観に流していくそうだ。
忘れていいのなら忘れたい。知らないですむのなら知らない方がよかった。
それでも、不運なことに私たちは、この3.11が地球で起きた時代を生きる人間となってしまった。
忘れてはいけない。
勇気を出して伝えることも続けなければならない。
声を上げる術もなく人生を奪われてしまったたくさんの方たち、声無き小さな命たちのために……。
それが、次の世代へと青い星を引き渡す、せめてもの私たちの使命ではないかと、この言葉に励まされながら思うのです。
「この青い星を生きのびさせるために人間のまことを尽くした人たち、そしてその立場に立ってものを書き続けた人たち、そういう人たちの言説が百年後の古典になるだろうこと、これだけは間違いない。」(「井上ひさしbot @inouehisashi」2017年10月30日)
(まりや ともこ・女優)

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