熊谷晋一郎

痛みが静かな悲しみに変わるには、数え切れないくらい同じ話を誰かに聞いてもらわないといけないですね。
(上岡陽江・大嶋栄子『その後の不自由──「嵐」のあとを生きる人たち』医学書院)
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薬物依存症からの回復をめざす自助的な施設である「ダルク女性ハウス」の代表、上岡陽江(はるえ)の言葉である。よく知られている事実だが、依存症者の多くは虐待などによるトラウマを抱えていることが多い。連想を引き起こすような刺激や、疲労や眠たさなど、ふとしたことがきっかけとなって、生々しい記憶が蘇り、痛みを伴う感情や思考に支配される日常を、彼女たちは過ごしている。そして、その痛みを紛らわすための自己治療として依存物質を使ってきたのだ。
しかし依存行動は、過去を振り返るのではなく、意識に上らないよう過去を切断する場当たり的な対処法である。やがて切断の薬効が薄れていくだけでなく、過去から学んで安全な生活を再構築することもできず、再び同じような傷を積み重ねることになる。
痛みを伴う過去は、共感してくれる他者と分かち合うことで、切断することなく静かな悲しみに変わっていく。しかし、自分の傷を他者と分かち合うためには、他者への信頼が先行しなくてはならない。他者関係における傷を抱えた彼女たちにとって、信頼して他者に心を開くことは簡単ではない。弱みを握られることでまた支配されてしまうのではないか、アドバイスされたらそれに従わなくてはならないのではないか、いつまでも同じ話をしていると嫌がられ、「過去を振り返らずに未来に目を向けよう」とはげまされてしまうのではないかなど、疑心暗鬼に飲み込まれる。何度も同じ話を聞いてもらえたという経験が砂のように降り積もって、長い時間をかけてようやく癒えていく長い道のりがあるのだ。
人は誰しも、自分の人生に一貫した秩序や物語を期待して生きている。トラウマは、そうした秩序や物語を打ち砕く、予想もしない出来事の記憶である。震災もまた、多くの人々のささやかな日々の秩序と物語を打ち砕いた。そこからの復興は、あの日を切断して、未来のみを見つめることでは、おそらくない。数え切れないくらい何度も、誰とでも、語り継いでいくことなのだ。
(くまがや しんいちろう・当事者研究、小児科学)

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