読む人・書く人・作る人(2018年8月号)

後醍醐天皇の実像

兵藤裕己


 建武の新政が二年あまりで頓挫したのは、かつては、歴史の流れに逆行したその「反動」性ゆえともいわれた。

 たしかに南朝の重臣、北畠親房は、後醍醐の治世を「公家の古き御 政おんまつりごとに返るべき世」と述べている。だが、「…返る」とは「返るはずの」という意味で、じっさいはそうではなかったということである。

 後醍醐の念頭にあったのは、中国宋代の儒学とともに受容された中央集権的な官僚国家である。その施策は、官職の私物化や世襲制など、公家社会の慣行を否定するかたちで行われた。そんな後醍醐の王政(天皇親政)は、やがて足利政権の支配下で先例・故実を墨守するしかなくなった公家社会では、ひたすら負の過去として記憶されることになる。
 たとえば、後醍醐の治世を「物狂ぶっきょうの沙汰」と評した三条公忠の発言は、一部の中世史家によって、その王権がいかに異常で、「異形いぎょう」であったかを強調する文脈で引用されたりする。それが「新政」によって既得権益を侵された権門層の発言であることが、なぜか見落とされているのである。
 門閥や家柄の序列を解体してしまう後醍醐の王政は、近世幕末の危機的な政治情況のなかで、政治史の表舞台へ再度呼び出されることになる。
 理念化された王政のシステム(いわゆる「国体」)が近世の身分制社会を相対化し、また現代の象徴天皇制へも引き継がれているしくみについては、新著『後醍醐天皇』(岩波新書)を参照していただければ幸いである。

(ひょうどう ひろみ・日本文学) 

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