巻頭エッセイ(『科学』2019年11月号)

猛威を奮う豚コレラ(トンコ)とアフリカ豚コレラ(アフトン)――正しい情報で被害の最小化を

芳賀 猛(はが たけし 東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻)



 昨年,26年ぶりに国内で発生した豚コレラ(以下,トンコ)の被害が広がっている.一方,これまで(2019年9月現在)国内で発生したことがないアフリカ豚コレラ(以下,アフトン)が,昨年8月に世界最大の養豚国である中国で初めて報告され,恐ろしい勢いで周囲に広がっている.トンコもアフトンも,いずれも豚やイノシシの感染症で,人への感染被害がないことから,畜産に関わる人以外,多くの人には自分の問題としてとらえにくい.しかしその被害の最小化には,一般の人々の正確な情報と危機感の共有が必要だ.多くの人に知ってほしいことが5つある.

 まず第一は,トンコとアフトンは,まったく異なるウイルスが引き起こす,別の病気であることだ.そのため,本稿では意図的に,獣医師が使う業界用語である,「トンコ」と「アフトン」という,違いが明確にわかる呼び名を使う(この使い分けは,広く報道機関でも活用してもらうのが,一般の啓発のためにもいいと考えている).

 第二に,トンコもアフトンも,人が感染する病気ではないが,豚やイノシシにとっては,脅威の感染症となることだ.特にアフトンはワクチンもなく,今のトンコより病原性が強い.まずは国内への侵入を防ぐことが重要だ.世界の半分の豚が消費される中国では,アフトン被害が甚大で,豚が激減した結果,豚肉価格が急騰し,世界市場にまで影響を及ぼしている.不正確な情報による風評被害は避けなければいけないが,家畜の感染症は,畜産物の供給不足という形で,我々の食卓にも影響を及ぼすものであり,決して人ごとではない.

 第三に,汚染地域からの肉製品の持ち込みは厳禁ということだ.家畜にとって危険なウイルスは年単位で活性を維持し得る.実際,国際空港の動物検疫で没収された肉製品からは,生きたアフトンのウイルスが検出され,水際で侵入防止がなされた.昨年国内発生したトンコも,ウイルスの遺伝子解析の結果,大陸から何らかの形で持ち込まれたものと考えられる.汚染食物の食べ残しが,野生のイノシシに摂取され,感染が広がった可能性も指摘されている.野生動物で広がった感染症は制御しにくく,対策は長期戦になる.今後,オリンピックも控え,海外からの観光客や日本で暮らす外国人労働者の増加が見込まれるなか,リスク低減には一般の人の理解と協力が欠かせない.

 第四に,畜産農家にとって重要なことになるが,野生動物や人が持ち込む可能性のある病原体が,家畜に触れないよう隔離する農場の衛生上のバリア(農場バイオセキュリティー)の強化だ.トンコではワクチン接種が話題になっているが,万一アフトンが国内に入った場合には,現状では使えるワクチンがない.この脅威をしっかりと認識し,ハード(設備)・ソフト(運用する人)両面から,病原体が農場(家畜)に侵入しないための「農場バイオセキュリティー」の一層の強化を期待したい.

 第五に,豚の被害を最小限に抑えるために,やむを得ず殺処分が行われている,ということである.殺処分に関わる関係者の苦痛は極まりなく,尋常ならざることだ.このような家畜感染症は,発生を未然に予防するのがベストである.

 我々は皆,命をいただき,生かされている存在である.消費者としての日常生活のなかでは見えにくいが,食卓には命をもっていたものがのぼる.広く一般の人に正しい情報を知ってもらうことが,風評被害を含めた家畜感染症の被害最小化につながり,ひいては多様な食文化の恩恵を享受できる社会を発展させることにつながると考えている.



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