ボブ・ディラン『The Lyrics』訳者・佐藤良明さんからのメッセージ


ボブ・ディラン『The Lyrics』訳者あとがき


 
 「赤本」と「青本」の二巻からなる『The Lyrics』。これはディランの自作詞集 The Lyrics 1961-2012(Simon & Schuster, 2016)を翻訳したものです。一冊の原著を、日本版では1973年リリースの『プラネット・ウェイヴズ』までと、1975年リリース(1974年制作)の『血の轍』からで区切りました。
 赤本『The Lyrics 1961-1973』には14のアルバム名のもとに200篇(同じ題名の別バージョンを含む)、一方の青本『The Lyrics 1974-2012』は、最新の『テンペスト』(2012)まで、17のアルバム名に、計187篇のリリックスを収めています。
 契約上、訳注も解説も序も後書きも、いっさい許されなかったところ、岩波書店さんが「あとがき」のスペースをここに用意してくれました。ノーベル文学賞受賞以後、従来のディラン・ファンに加えて、新しい関心が生まれていることも想定し、以下、ネットの広い読者に向けて、本訳書についての情報を発信します。

 テクスト本文について。これら387作品は、作家ディランが出版の時点で ©(確定)したテクストであって、レコーディングした歌詞の歌集ではないということ。
 ディランがこの書物に収めた歌詞は、レコーディング時のものとたいていは同じですが、なかには単語を取り替えたり、一部の行を変えたり、連(段落)をまるごと削ったりした作品も一定数あります。
 これはアーティストとしてのディランの姿勢そのものに関わることで、彼は完成した商品を売り出しているわけでは必ずしもなく、コンサートで歌う場合もアレンジを大胆に替えるし、歌詞もしばしば動かしてきました。
 彼の書く作品は、活字文化に特有の「完成」という概念に縛られていないともいえるでしょう。すでに20世紀の世界の文化として一定の地位を得ている歌詞が変わってしまうのを見て、私自身「どうして?」と問いたくなることもあります。でも、それはもしかしたら、彼のうたを、完成された作品=商品として、もはや動かぬ「もの」として、考えてしまっているせいかもしれません。ディランが民衆の前で歌い続ける吟遊詩人なのだとしたら、そのリリックスが時とともに変化していくのも当然のこと、そう認めざるを得ません。

 本書の位置づけについてもお話ししておきましょう。ディランは過去にも Lyrics 1962-1985 や Lyrics 1962-2001 というタイトルの、それぞれの時点での「自作ほぼ全詞集」を出しています。それぞれ『ボブ・ディラン全詩302篇』(片桐ユズル・中山容訳、晶文社)『ボブ・ディラン全詩集 1962-2001』(中川五郎訳、ソフトバンククリエイティブ)として翻訳されました。そのどちらにもついていなかった定冠詞の the が、今回の The Lyrics 1961-2012 にはついています。
 それを見て私は「これぞ決定版!」と思いました。最後を飾る『テンペスト』(2012)は、ディランが71歳のときにリリースされた作品で、それから8年、新曲の発売がなかったところを見ても、ディランは、自らの作詞活動の〈すべて〉をここに込めたのだ、と。
 ところが、本訳書の発売とほとんど同日に、ディランの新曲が、発売ではなくファンへのプレゼントという形で、出回ったのでした。"Murder Most Foul"(最も卑劣な殺人)は、これまでスタジオ録音盤としては最長だった「ハイランズ」(『タイム・アウト・オブ・マインド』1997 所収)を超える長さとなりました。ファンの虚を突くのはお手の物のディラン、80代になっても私たちを驚かすようなニュー・アルバムを披露してくれるかもしれません。

 本書の構成ですが、31のアルバム・タイトルのもとに、自作の詞387篇が振り分けられています。この31枚は、新曲入りスタジオ録音盤の総数です。
 (それら以外に、アメリカやブリテン島の古謡を歌ったりスタンダード・ナンバーを集めたアルバム、ベスト・ヒットやテーマ別のコンピレーション、ライブ収録盤、そして未発表曲や貴重な音源を集めた「ブートレグ・シリーズ」第1集~第15集、等があります。)
 31のアルバム名の下には、当該のアルバムに収録された自作曲と、同時代に書かれた未収録作品のテクストが収められています。
 たとえば、最初のアルバム『ボブ・ディラン』(1962)は、全部で12曲入りでしたが、そのうち10曲は既存のブルースやフォークソングでしたので、本書に入っているのは自作の2作品だけ。それらに同時期の作品27曲が「追加収録」されています。
 ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに出てきて、いくつかのカフェでフォーク歌手として切磋琢磨していたデビュー期に追加収録作品が多いのは当然ですが、その後も存外に多く、本書全体では91曲になります。オリジナル・アルバムに入っていないとはいえ、それらはけっしてマイナーな作品とは言えません。長年暖めていながら、収録時点で(本人の意識では)未完成だったり、レコーディングにかかったもののサウンド的に折り合いがつかず収録をあきらめた作品も多く、なかには、その時期の最高傑作の一つと評価されているような作品もあります。後編(青本)に収めた「金の織機」「カリブの風」「アンジェリーナ」「ブラインド・ウィリー・マクテル」「夢のシリーズ」「レッドリバーの岸辺」「碧き山を渡り」「きみから逃れられない」などのリリックスからは、たゆまず変貌していくディランの存在感が強く感じられます。ぜひ、音源(および英語の歌詞)と合わせて、アーティストとしてのディランのパフォーマンス全体を味わってください。

 邦訳の題が変わったことに戸惑いを覚える読者もいるかもしれません。
 今では文化史の教科書に登場してもおかしくない初期の名作も、内容をより十全に味わっていただくために、変えるべきは遠慮なく変えさせていただきました。
 「風に吹かれて」の題名は、さすがにそのまま残すべきかと思いましたが、風に舞う木の葉を Leaves are blowing. と表現するときの、自動詞としての blow の意味を、日本語の「吹く」は持っていません。「吹かれる」と受身にすれば、意味は近づきますが、穏やかにすぎます。温和な日本で「風に吹かれて」というと、なにか「飄々とした」感じになってしまう。アメリカ大陸の、特にボブ少年が育った北国ミネソタの風は激しいものです。ニューヨークの冬も厳しい。街路に落ちていた新聞紙を舞い上がらせるような、単にフーッと「ふく」のではなく、ブワーッと「ブロー」するような風。その風に、答えが吹き散らされているという感じをより強く出したいと願って、「風に舞っている」というフレーズに賭けました。
 こうして、アルバムのタイトルは日本での商品名をそのままお借りする一方で、各ソングの題名は、詞の内容と原タイトルから、正確を期したいという訳者の良心のままに「新訳」しました。「戦争の親玉」「くよくよするな」「しがない歩兵」「いつもの朝に」「悲しきベイブ」「やせっぽちのバラード」「寂しき4番街」「見張り塔からずっと」……数多くの親しまれてきた題名が、ここにはありません。
 『血の轍』と『欲望』を最後に、『ストリート・リーガル』(1978)以降のディランの曲は、原語カタカナ表記が圧倒的になってきます。それらの曲も、英語のままでしっくり意味が通る場合は別として、日本語の題を工夫しています。

 翻訳の手順について語るのは辛いものがあります。アーティスト(芸人、演者、策士)は作品/パフォーマンスがすべてで、自作について解説はしないもの。しかも翻訳者は黒子ですから、自分の仕事は、黙ってこなせばよい。それについて余計なことは言わずにいるに越したことはありません。
 ただ今回のディラン訳は、原文を表示した「対訳」という形を取っています。基本的に英語が読める、英語教育の大国の住人に向けて、どんな日本語を英語と一緒に差し出すべきか。英語と日本が相互補完して、ディランの世界が、十全に味わえるように図るには、どうしたらよいか。
 もう一点、『The Lyrics』は「詩集」というよりも「詞集」なのだという意識をもって翻訳に臨んだことも報告しておきましょう。ですから、「ノーベル文学賞を獲ったそうだが、ディランという歌手は、詩人としていったいどれほどのもんなんだね?」という関心から、本書を覗かれても、「おお、さすが!」との感想は得にくいかと思います。
 なぜかというと、これらは、まず何よりも「ソング」だからです。ディランの詞は、いくら格好良くても──また、フランス象徴派詩人やT. S. エリオットやビート派詩人の影響が顕著な「文学性」を持っていても──その形態は「どんぐりコロコロ」や「あの娘はルイジアナ・ママ」の延長線上にある。そういってまずければ、古いバラッドやロバート・ジョンソンのデルタ・ブルースやハンク・ウィリアムズのカントリー・ブルースの延長線上にある。ノーベル賞の委員会が発表した受賞理由は「偉大なアメリカのソングの伝統の内側で、新たな詩的表現を創造した」というものでした。

 ソングを訳すには、それ相応の構えが必要になります。
 それぞれの言葉に、一つ一つ丁寧に日本語を当てていくことで、翻訳の正確さを担保しようという立場があります。私たちが学校で習う「英文和訳」は通常その立場から、解釈の成否を判断します。原文の主語をまず訳し、それに「は」や「が」をつけて述語につなぐ。その方式に慣れしまうと、そうやって生み出された訳文こそが「透明」な、訳者がしゃしゃりでない訳である、と考えてしまいがちです。
 英語の現場で長年苦しめられてきた者に、そのように楽天的な構えはとれません。日本語は、英語のような、構文に依存して文意を生み出す言語とは違う生き物です。両者の間の深いギャップを行き来して、「透明な訳文」と感じていただけるものを創り上げるために、訳者は忙しく立ち回らなくてはいけない。
「この文はどういう意味か」を問うのではなく、むしろ「ここでディランは何をしているのか」を考えて、それにできるだけ近いことを日本語で「する」こと。
 ソングライターの常として、ディランがしていることの中心には、いかに格好良く、目覚ましく、韻(ライム)を踏むか、ということがあります。あるいは陳腐な韻を、どうやって陳腐でなく見せるか。
 韻とリズムを基盤としたコミュニケーションを、どうやって日本語に移すのか。移せない、とあきらめつつ、それでも何とかしようと思うとき、少なくとも語呂のよさを失うことはできません。スムーズに流れる日本語の韻律、それをまず身体に抱えた上で、原文に盛られている事細かなイメージを日本語に移し替えていく。それが手順です。訳しきれないところがでてくるのは、悔しいけれど仕方ない。
 翻訳者というものは、沈み続ける船から、最低限何を救い出すかを判断してテキパキと動かないといけない、そんな気がします。このリリックのキモはどこか。どうしたら各スタンザ(連)のキモを掴むことができるか。賢明な読者が、英文も併読し、ボブの声やハーモニカの表情からも情報を汲み取りながら、十全なディラン体験を再現できるよう手助けをするには、どんな日本語を流し込んだらよいのか……。

 キモを掴むといっても、容易にできることではありません。ディランの繰り出すテクストは、昔も今も、トリッキーなものがとても多い。他人の議論にも学びながら、自分なりの解釈を固めていかなくてはなりません。
 もう50年近く前、大学生のときに翻訳で読んだマイケル・グレイの『ディラン、風を歌う』(晶文社、原題 Song & Dance Man)は、英詩の伝統に通じた筆者の強い主張がこもっていました。「ディランは結局わからない」という私の基本姿勢は、この本を苦労して読んだときに生まれたようです。ただ、三井徹氏の訳文からは多くを学び、今読み返しても、なお学ばされるところが多々あります。もう一冊、ディランの詩論として訳されている、ジョン・ハードマンの『ボブ・ディラン 詩の研究』(CBS・ソニー出版、原題 Voice without Restraint)も40年近く前の本ですが、三浦久氏による訳文の正確さ故に、ディランについて多くを学ぶことができます。
 今回の翻訳で私の座右の書となったのは、全曲の成立過程と詩文の内容に立ち入ったクリントン・ヘイリンの Revolution in the Air: The Songs of Bob Dylan 1957-1973 と、その続編 Still on the Road: The Songs of Bob Dylan 1974-2006 です。さらにイギリスで、トニー・アトウッドという、今は退職した先生が中心になって運営している「語られざるディラン」(Untold Dylan)という名のサイトがあって、ここを訪ねると、それぞれの歌で、英語圏の知的なファンが、ディランのどんなラインが不可解だと悩み、どんなラインに至福を感じているかがよく解ります。このサイトで正された私の誤読は枚挙に暇がありません。
 最後になりますが、原稿を先達の訳文と引き合わせ、各行で不備や誤解はないか確認し、訳者への詳細な質問集を何度も作成して細部を調整する労をとっていただいた岩波書店の方々、なかんずく担当の奈倉龍祐氏に心より感謝申し上げます。

 1950年代のアマチュア・バンド時代から数えれば今年で8つめのディケードに入ったディランの活動。生涯現役を続けながら変貌を続けたアーティストとして、他に誰がいるか考えてみたら、ピカソが思い起こされました。そのピカソに「青の時代」「バラ色の時代」「キュビズムの時代」があるように、ディランにも、いろいろな「時代」があります。それぞれ時期の作風についてここで語り出すのは、しかし、やめておきましょう。
 日本にも10代から70代まで、各世代にディラン・ファンがいます。それぞれの世代が、そもそもが複雑な彼の作品を、それぞれの思いで乱反射させている。それで十分。そこに新訳を投げ込む機会を与えられた幸せを、身にしみて感じています。

2020年4月
佐藤良明

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