デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』推薦コメント・訳者あとがき

「本当に大切な仕事はなにか」今こそ考える

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やりがいを感じないまま働く。ムダで無意味な仕事が増えていく。人の役に立つ仕事だけど給料が低い――それはすべてブルシット・ジョブ<(クソどうでもいい仕事のせいだった! 職場にひそむ精神的暴力や封建制・労働信仰を分析し、ブルシット・ジョブ蔓延のメカニズムを解明。仕事の「価値」を再考し、週一五時間労働の道筋をつける。『負債論』の著者による解放の書。

(2020.09.15追記)



◆推薦コメント

みんなが自分の仕事について真面目に考えたら世界は変わるかもしれない
グレーバーの提議がこれほど切実に聞こえるときはない
コロナ禍を体験した私たちに「思索のタネ」を与える福音の書

ブレイディみかこ(ライター・コラムニスト)

 

「クソどうでもいい仕事」は実在する。どころか、4割くらいの人が自分の仕事がそうであると知りながらそれに従事している。なのに誰もそれを「クソどうでもいい」と言えずにいた。が、それも本書が出るまでの話だ。現代社会最大のタブーは晒された。「クソどうでもいい仕事」はあなたの錯覚ではないし、誰がどれだけ言い繕おうとそこに意義はない。だから大手を振って中指を立ててやろう。こんな痛快な本はまたとない。何もせず威張ってるだけの上司や同僚のまぬけづらを思い浮かべて、大爆笑しながら読もう。

若林 恵(編集者)

 

ムダで無意味だと思いながらも、働いているふりを強いるブルシット・ジョブ。本書のエピソードの数々に誰もが共感を覚えるはずだ。でも「辞めてやる!」とは言えない。他に選択肢はないと思い込んでいる。それが個人や社会を蝕んできた。なぜこうなってしまったのか? これは「働き方」の問題ではない。グレーバーは、そこに何重にも絡まる歴史的な政治・経済・宗教の問いを解き明かしてくれる。ケア労働が見直されている今だからこそ、ポスト・コロナの世界を考えるためにも。必読です。

松村圭一郎(文化人類学者)

 

かつて惑星の99%を勝手に味方につけたグレーバーは、「勝ち組」ホワイトカラーの内心の苦しみをケアするこの著作で、改めて階級横断的な「人間」一般の秘密をわたしたちに伝えながら自由な未来を開こうとする。

片岡大右(批評家)

 

ハッとさせられたのは、あらゆる労働は本質的にケアリングだ、という指摘である。橋を作る仕事だって、その根本にあるのは川を横断したい人へのケアだ。ケアは数値化できず、生産性には結びつかない。私たちがコロナ禍で学んだのは、このケアの部分こそ機械によって代替することができず、また休むことも許されないという事実だった。
人間らしく働き、ケアしあいながら社会を作るとはどういうことか。日常が完全に元に戻る前に、立ち止まって考えたい。(9/12『毎日新聞』より)

伊藤亜紗(美学者)

 

「いかに会議の時間を短くするか」というお題の会議を長時間やったことがある。あれには意味があったらしい。会議がなくなると困っちゃう人たちの仕事を守っていたのだ。

武田砂鉄(ライター)

■「ブルシット・ジョブ」とは?

☞ ブルシット・ジョブの最終的な実用的定義
ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

☞ ブルシット・ジョブの主要5類型
1. 取り巻き(flunkies)
だれかを偉そうにみせたり、偉そうな気分を味わわせたりするためだけに存在している仕事
2. 脅し屋(goons)
雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素をもち、そのことに意味が感じられない仕事
3. 尻ぬぐい(duct tapers)
組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事
4. 書類穴埋め人(box tickers)
組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している仕事
5. タスクマスター(taskmasters)
他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブをつくりだす仕事



■著者紹介
デヴィッド・グレーバー(David Graeber)
1961年ニューヨーク生まれ。文化人類学者・アクティヴィスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。著書に『アナーキスト人類学のための断章』『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』『負債論――貨幣と暴力の5000 年』『官僚制のユートピア――テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義』(すべて以文社)、『デモクラシー・プロジェクト――オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力』(航思社)など。

[訳者]
酒井隆史(さかい たかし)
1965年生まれ。大阪府立大学教授。専門は社会思想、都市史。著書に『通天閣――新・日本資本主義発達史』(青土社)、『暴力の哲学』『完全版自由論――現在性の系譜学』(ともに河出文庫)など。訳書にグレーバー『負債論』(共訳)、『官僚制のユートピア』のほか、マイク・デイヴィス『スラムの惑星――都市貧困のグローバル化』(共訳、明石書店)など。

芳賀達彦(はが たつひこ)
1987年生まれ。大阪府立大学大学院博士後期課程。専攻は歴史社会学。

森田和樹(もりた かずき)
1994年生まれ。同志社大学大学院博士後期課程。専攻は歴史社会学。


■不要な仕事と必要な仕事――パンデミックとブルシット・ジョブ
(『ブルシット・ジョブ』訳者あとがきより一部抜粋)

酒井隆史

 今回のCovid-19パンデミックのもたらした「ロックダウン」、日本では「自粛」状況は、「現代世界においては無意味で不要である仕事が増殖しており、しかも、そちらのほうが価値が高いとされている」という、グレーバーのかねてよりの主張を事実によって裏づけたという感もあり、あらためてかれの仕事が注目されているような「空気」を訳者は感じている。
 おそらく、そこで浮上してきたのは、『ブルシット・ジョブ』で前面にあらわれるよりは、その強力な文脈として作用していたテーマ、要するに、不要な労働ではなく、必要な労働というテーマである。これについて、パンデミック後に発表されたいくつかのテキストも利用しながら、補強しておこう。
 まず、非ブルシット・ジョブとしてのケア労働についてである。グレーバーはおおよそ、非ブルシット・ジョブに伝統的な生産労働とケア労働をふくめ、伝統的な生産労働の衰退(自動化によるところも大きい)とケア労働の比重と意義の増大をみている。おそらくそれは、ケア領域の市場化ともかかわっているが、それをふまえたうえで、これまでの生産概念の神学的フレーム(無からなにかをこの世に登場させるものとしての生産のイメージ)を批判し、生産をより広く、ケア的活動をふくめたものとしてとらえ返し、それによって現在の労働にかかわる状況をより適切に把握できる概念的作業をおこなっている(本書でいえば、とくに第5章や第6章)。このような議論は、グレーバーの知的仕事の最初のほうから、独特の人類学的価値論やあるいはアナキズム、フェミニズムや異端派マルクス派などの影響のもとに潜在していたようにおもわれるが、それを発展させたきっかけは2011年のウォールストリート占拠運動であるということは、かれはことあるごとに語っている。

 「われわれは99パーセントだ」というタイトルのTumblrページがあります。それは、とても忙しく働いているために、継続して占拠に参加することができない人たちのためのものでした。みずからの生活状況や運動を支持する理由を短い形式で書けないか、ということが開設の動機です。末尾にはつねに「私は99パーセントだ」と記されています。それには大きな反響がありました。無数の人々が書き込んだのです。
 書き込みをみたとき、書き込んだ人々のほとんどすべてが、ある意味で、ケアリング・セクターに属していることに気がつきました。たとえそうでなくとも、テーマはとても似通っているようにおもわれました。基本的に、次のような内容が語られていたのです。「わたしは少なくともだれも傷つけない仕事を望んでた。実際に人類になんらかの寄与をしながら、なんらかの方法で人助けをしたかった。ひとをケアしながら、社会に寄与したいのです」。ところが、保健や教育、社会サービスなど、他者のケアにかかわる仕事に従事すると、ほとんど給料がもらえず借金が重なり、自身の家族の面倒さえみれなくなるのです。それはまったくもって不公平です。
 なによりも運動を突き動かしていたものは、このような根本的な不正義の感覚だとわたしはおもうのです。わたしは、かれらが基本的に管理職(エグゼクティヴ)たちを満足させるためだけの仕事もどき(ダミー・ジョブ)に追われていることに気がつきました。かれらは、みんながやっているというだけの仕事をこなさなければなりません。教育や医療において、これはひどく顕著です。〔そこでは〕いつでもどこでもみられる現象なのです。たとえば看護師は、しばしば書類を埋める仕事にみずからの時間の半分を費やさなければなりません。教師たち、小学校の教師たちや、わたしのような人々もそうです。小学校5年生の担任ならば、高等教育ほど悪くはないけれども、それでもやはりきびしいものがあります*1


 パンデミック状況のもとで「ブルシット・ジョブ」論があらためて注目された理由は、その渦中で拡がった「エッセンシャル・ワーカー」という概念と関連している。巨大な重量と独特のダイナミズムをもってきた「ブルシット」の渦なかで、みえにくくなっていた「非ブルシット」的契機が、この機会に浮上してきたのである。
 そもそも「経済」を止めてみて、この世界がまわっていくのになにが必要か必要でないかをみきわめる方法はない。したがって、「経済」が停止するという事態は、人為的な実験がほとんど不可能である社会科学的領域において、そうそうある機会ではなかった。ところが、このパンデミック状況が、それを可能にしたのである。以下は、パンデミック以後に公表された、スロヴェニアのウェブマガジンにおけるインタビューよりの一節である。


 長いこと、世界中の政府が、こんなことなんてありえないとわたしたちに説きつづけてきました。すなわち、ほとんどすべての経済活動が停止すること、国境を閉鎖すること、そして世界規模で緊急事態が宣言されることです。3ヶ月ほどまえまでは、GDPが1%減少しただけでも大惨事になるとだれもが予想していました。ゴジラみたいな経済的怪物に、わたしたちが押しつぶされてしまうかのように、です……ところが、だれもが自宅でじっとしていましたが、経済活動の減少はたった3分の1です。すでにこれ自体、ぶっとんでますよね。だれもが自宅にじっとして、なにもしないとすれば、経済活動は少なくとも80%ぐらいは低下するようにふつう考えませんか。ところが3分の1なんです。いったい、経済を測定する尺度ってなんですか*2


 さらに『リベラシオン』紙に寄稿された最近のエッセイでは、つぎのように述べられている。


 ……わたしたちが今回の危機を通して深く実感することになったのは、今日では、最も必須の労働の大部分は、古典的な意味で「生産的」なものとは言えない――要するに、それまで存在していなかった物理的対象をつくり出すことと結びついたものではなくなっている、ということだ。
 今日の必須の仕事(エッセンシャル・ワーク)のほとんどは、何らかの種類のケア労働であることが明らかになった。他の人びとの世話をし、病人を看護し、生徒に教える仕事。物の移動や修理、清掃や整備に関わる仕事。人間以外の生き物が繁栄していけるための環境づくりに取り組む仕事*3


 モノ作りという意味での生産を中核に据えた経済体制の衰退とともに、非製造部門が支配的になっていくというイメージのなかで、サービス労働は実はそれほど増えておらず、むしろ管理部門(ブルシット・ジョブの巣くうところ)の肥大をまねいていること、そして、サービス労働をふくむケア部門の意義が大きくなっていること――機械によって代替されない領域としても――が、おおまかな見通しとして語られる。グレーバーの議論は、生産としてのケアの意義――近代において生産からケアがますます排除されたこと――、そして、それが市場化によって市場の論理に包摂されてきたこと、さらにそれが、いわゆる「労働力の主婦化」(グレーバー自身は使用していない概念だが)によって「シット・ジョブ」として、「ブルシット・ジョブ」の増殖と並行しながら増大をみせているというものである。そして、であるがゆえに、「経済」の停止とともにそのケア労働の領域が「停止」できない「エッセンシャル」な領域として浮上してきたのである。



*1 David Graeber and Suzi Weissman, “The Rise of Bullshit Jobs,” Jacobin, June 30, 2018, https://jacobinmag.com/2018/06/bullshit-jobs-david-graeber-work-service (酒井隆史ほか訳「ブルシット・ジョブの上昇――デヴィッド・グレーバーへのインタビュー」『現代思想』2018年11月号、119-120頁).
*2 Lenart J. Kučić, “David Graeber on harmful jobs, odious debt, and fascists who believe in global warming,” Disenz, May 16, 2020, https://www.disenz.net/en/david-graeber-on-harmful-jobs-odious-debt-and-fascists-who-believe-in-global-warming.
*3 “David Graeber: vers une «bullshit economy»,” Libération, 27 mai 2020, https://www.liberation.fr/debats/2020/05/27/vers-une-bullshit-economy_1789579 (片岡大右訳「コロナ後の世界と「ブルシット・エコノミー」」http://www.ibunsha.co.jp/contents/graeber02).


◆書誌情報
『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』
デヴィッド・グレーバー/酒井隆史,芳賀達彦,森田和樹 訳
A5判/並製/442頁/C0033/2020年7月29日発売/本体3,700円+税
ISBN978-4-00-061413-9  » 書誌ページへ

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