編集後記(『世界』2021年4月号)


 かねて宗教と人間への深い洞察をもとにした著作を多く著しているジャーナリストの藤田庄市さんと、ある企画をめぐるやりとりをしていた。ある日のメールで、本誌二月号特集の「阿波根昌鴻――態度としての非戦」についての感想を頂戴した。その内容が、ただ私の個人的な記憶にとどめるだけではもったいない内容であったので、本誌に新欄を設け、原稿としてお寄せいただいた。特集に収めた謝花悦子氏や榎本空氏の回想もそうだったが、阿波根昌鴻の躍動する精神が、それを引き継いで昇華し、実践している人の文章を媒介にして伝わってくる。

 沖縄をめぐっては前号でも「軍事化される琉球弧」を特集したが、今号では、共同通信の石井暁氏に、陸上自衛隊と米海兵隊が基地の共同使用について密約を結んでいた事実を報告していただいた。石井氏といえば、陸自の秘密部隊「別班」の存在を明るみに出し、最近でも陸自特殊部隊のトップをつとめた人物による現役自衛官などへの私的戦闘訓練の様子をスクープしている。

 石井氏は自衛隊の"天敵"であるかのように思われがちだが、むしろ逆である。シビリアン・コントロールを軽視、無視して突き進む軍事組織という存在が社会に何をもたらしかねないか、今号で中西嘉宏氏が報告するミャンマーの状況は極端に思われるかもしれないが、そう遠くない過去の日本も似たような状況だった。それを理解しているからこそ、石井氏や、ともに取材にあたった阿部岳氏に対し、自衛隊幹部をはじめ多くの関係者が応答するのであろう。パンデミックもあり取材は難航したとのことだったが、まずは、そのジャーナリズムの成果を共有したい。

 また、今号の連載「沖縄という窓」では、琉球新報の松元剛氏が、沖縄で米軍戦闘機の低空飛行が常態化している状況を報告している。私の住む東京・八王子でも横田基地の米軍飛行機の騒音が激しくなっているが、事故が起きてからでは遅い。……というより、これほど屈辱的な状況を、政治がそのまま受容している異様さがおそろしい。沖縄に負担を押し付けて恬然としているうちに、植民地的様相が足もとでも拡大深化してきている。今号の猿田佐世氏による第五次アーミテージ・ナイ報告書の分析もあわせ読んでほしい。

 関連してお知らせを。前号のグラビアで「大琉球写真絵巻2020」を掲載した石川真生氏の大規模な写真展が、三月五日から六月六日まで沖縄県立博物館・美術館で開かれる。タイトルは「醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」――なんとすばらしいコトバだろう。ぜひ行きたい。

 この写真展のタイトルが胸に突き刺さってくると同時に、師岡カリーマ・エルサムニーさんの美しいエッセイの数々を思い出した。人間の多様性と共通性が世界各地で醸し出す妙味を伝えてくれた二年間にわたる連載、ありがとうございました。

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