巻頭エッセイ(『科学』2022年3月号)

幻の、核のごみ「文献調査段階」――問われぬ危うさ

本間照光(ほんま てるみつ 青山学院大学名誉教授)



 公文書や統計の改ざんが,あいついで明るみに出ている。問題を隠すために改ざんし,検証もしない。改ざんを認めることで問題を閉じる。結果は,いのちとくらしの危機,国も社会も成り立たないし,科学も科学たりえない。原発やコロナ禍でも同じだ。

 原発事故の汚染水放出や核のごみ(高レベル放射性廃棄物,死の灰)の地下埋設では,情報操作で地球規模,地球史的破局がもたらされかねない。核のごみ最終処分は,電気料金に上乗せして集めた資金での,広報(実は会社案内),調査,処分地決定,そして地下300mへ向かう「バベルの塔」(核のごみの「地下塔」)の建設と続く。その主体は「機構」と称する,業界がつくったごみ処分会社だ(原子力発電環境整備機構NUMO)。

 処分地を選ぶ調査には,①文献調査段階(机上調査),②概要調査段階(ボーリング調査),③精密調査段階がある。各段階から次の段階へ進むときには,「地域の意見を聴く(反対の場合は先へ進まない)」,途中で手を下ろすことができる――と,機構と経済産業省がいい,そのまま報道されている。しかし,「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律(最終処分法)」には,「文献調査段階」すなわち机上調査段階なるものはない。

 「この法律において「概要調査地区」とは,精密調査地区を選定するため,文献その他の資料により……地層内の地下水の状況その他の事項を調査する地区をいう」(2条10項,傍点筆者)。つまり,文献調査とは概要調査段階に組み込まれた入り口の部分で,そのままボーリングなどに直結し,最終段階の精密調査につながっているのである。また,途中で手を下ろすこともできなくなる。自治体には決定権がなく,意見を聞かれるだけだ(本誌電子版および2021年1月号,『週刊エコノミスト』オンラインで公開の本間稿)。

 この肝心かなめが伝えられず,報道もされない。市民運動や研究者からの発言もない。なぜか。「文献調査段階」なる幻の舞台がこしらえられ,「次」と思っているうちに,実は今すでに概要調査段階に入っているのである。

 核のごみが無害化するには,10万年を要するとされる。人間(――人の世)を超えた時空のはてまでだ。それでいて,「科学的特性マップ」(経産省資源エネルギー庁,2017年)は,埋設に「好ましい特性が確認できる可能性」は国土の65%にあり,10万年を保証できるという。

 安全か危険か,等分で刻んでいっては,どこまで行っても10万年にたどり着けない。そこで「対数グラフ」を使うことで,1枚の方眼紙に10万年を描くことはできる。しかし,そのグラフでは遠くに行くほどに圧縮され,到達までの経路ばかりか,その間のできごとやリスクもみえなくなる。裏を返せば,入り口の今ここが10万年の全体とみまがうほどに肥大化している。事故は起きないとしたい今ここの自画像をみて,全体と誤認する。全体観が失われていればこそだ。

 原発事故による死を怖れるのは,隕石にあたるのを怖れるのと同じ杞憂だとされていた。その自画像では,原発運転からわずか数十年で起こる事故も見通せなかったではないか。

 ふたつの道がある。「分からないことを分からない」とする。「分からないことを分かった」とする。分かったことにして,天まで届く塔をつくろうとして塔もろとも崩れ落ちる「バベルの塔」は,人間の愚かさのたとえだ。そのばあい,人類は生き残ってやり直しができる。他方,核のごみ(死の灰)の「地下塔」崩落が起きれば,人間が夢まぼろしと消え去る。天地そのものの崩落,杞憂が現実のものとなる。

 どちらの道に,人間――人類生存,科学的精神と希望が残されているのか。幻の舞台がこしらえられ,それが問われることもないのでは,10万年の約束も成り立ちようがない。

カテゴリ別お知らせ

ページトップへ戻る