編集後記
(2010年7月号)

岡本 厚


 2006年、普天間基地の移設先をキャンプ・シュワブ沿岸部とする、日米間の「合意」が発表されたとき、本誌は「沖縄―米軍再編『日米合意』は破綻する」という特集を組んだ (2006年4月号)。
 今日を見るとき、このときの「合意」が破綻したのは明らかだ。
 稲嶺惠一・沖縄県知事 (当時) は、本誌のインタビューに答え、「沖縄県民がもっとも恐れているのは、基地の永久固定化」であり、「県民総意」は「つねに『基地の整理・縮小』」だと述べている。
 保守系知事の苛立ちは、「県民総意」を無視し、米国の都合にのみ合わせて「合意」を急いだ日本政府に対して向けられていた。この苛立ちは、現在の普天間「県内移設」回帰に対する県民の巨大な怒りに、まっすぐ連なっている。
 本誌は“予言”したわけではない。当時の世論調査で、沖縄県民は9割がこの「合意」に反対していた。こんな「合意」が成り立つわけがないのである。
 不思議なのは、また今回も、必ず破綻するのが明らかな「日米合意」に、鳩山政権が何の成算もなく、舞い戻っていることだ。
 鳩山首相は、「パンドラの箱」を開けてしまった。占領下、米軍は武力で沖縄県民の土地を奪い、基地を造った。復帰後、日本政府はお金でごまかして、その基地を維持した。しかし、65年はあまりにも長い。さらに、このまま「永久」に基地を背負わされるかもしれない、という深い恐怖が県民を捉えている。
 鳩山首相は、そのことを県民にはっきりと自覚させた。そしてその沖縄の声を聞いて、本土の市民の中にも、基地の存在と日米安保への疑念を広く生じさせた。自民党政権では出来なかった功績である。いまさら、元に返そうとしても、一度開いた「パンドラの箱」は元に戻らない。
 問題は、鳩山首相だけではない。わずか1年前、本誌のインタビューに岡田克也氏 (当時民主党幹事長) はこう答えている (本誌2009年7月号)。
 「とくに普天間基地移設についてですが、われわれは県外、あるいは国外に移転すべきだと主張しています。……いま現在、沖縄にこれだけの米軍基地があることがノーマルなことかどうか、白紙から (米国と) 話し合うべきなのです」
 また北沢俊美氏も、防衛相になった直後、これも本誌のインタビューにこう答えている (臨時増刊『大転換』)。
 「辺野古にも行きましたが、ここはすばらしい、美しい海で、紛れもない日本の財産です。これを埋め立てて基地に提供していいものでしょうか」
 鳩山首相には、まだ辺野古回帰に抵抗し、葛藤していた印象があるが、この二人にはそれさえ感じられない。優秀で勉強家の政治家たちのあまりにスマートな「転換」ぶりは何なのか、疑問に思っていたら、次のような文章にぶつかった。
 「小学校から中学校へと、自分の先生が唯一の正しい答えをもつと信じて、先生の心の中にある正しい答えを念写する方法に習熟する人は、優等生として絶えざる転向の常習犯となり、自分がそうであることを不思議と思わない」(鶴見俊輔『思い出袋』岩波新書)
 この場合、彼らにとって「先生」とは、米国のことなのではないか。
 いずれにせよ、米国と同意したら、鳩山首相も担当閣僚も、それを県民、あるいは国民に説得しなければならない。しかし、「負担軽減」だの「環境配慮」だの、彼らの言葉を一体誰が信じるだろうか。