翻訳の政治学
近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容
「短い近代」と「長い近代」という新しい時代区分を提起.東アジア近代史の捉え直しと方法論的再検討を迫る.
「翻訳」という観点をキーコンセプトに,19世紀後半の「琉球処分」から20世紀初頭の「辛亥革命」に及ぶ時代における日琉関係の変容と,それを語る政治的言説の展開に材を採り,東アジアの「近代」に生じた変動の意味について考察する.「翻訳」概念の再定義を通して,「短い近代」と「長い近代」というまったく新しい時代区分の下に東アジア近代史を捉えなおすとともに,既存の学問分野の壁を越える新たな政治研究の方法論を提示する気鋭の研究者の力作.
■著者からのメッセージ
19世紀半ばの「西洋の衝撃」以来,日・中・米三国のヘゲモニーの接点として位置づけられてきた「沖縄」が,今また大きな政治的争点として浮上しています.
しかし,日米の劇的な政権交代や,日中の経済力の逆転を眼前にする現在,この地域に注ぐ私たちの眼差し自体を転換しなくては,その歴史的な意義を正しく捉えることはできないでしょう.
本書では,「近代」という時代や「ポスト近代」の現状の定義を,琉球・沖縄史の視点から,新しく書き換えることを試みました.
金融や情報のグローバル化によって,国境の壁が薄くなり,最強の軍事力を持つ国家の指導者が国際的平和賞を受賞して,政治と道徳とが再び一体化を始めた今日の社会が,西洋産の「短い近代」が訪れる以前の,東アジアに固有の「長い近代」の姿にいかに似ていることか.
もう一度私たちは,「琉球処分」以前の世界へと帰るのか.だとすれば,「民族統一」以降の日琉関係の評価はどう変わるのか.そして,これからの日本にできることはなにか.
歴史研究における「実証」の意義は,本来「マイナーな古文書を活字化する」ところだけに存するものではないでしょう.また思想的な「理論」の意味も,「価値判断の尺度を欧米から直輸入する」ことにあるのではありません.
ある地域の歴史を探求する実践が,同時に世界の現状に対する内発的な思索でもあった時代――歴史学が輝かしかった頃に多くの先哲が遺してくれた,「思想書としての歴史書」の雰囲気を,わずかでも再現できればと願いながら,背伸びをしてみた著作です.
-
19世紀,「西洋」は東アジア世界の何を変え,何を変えなかったのか.21世紀,「近代」が過ぎ去った後に,何が残り,何が消えてゆくのか.――20世紀への転換期における琉球弧の体験を素材に,言語行為を通じて同一性を創造する「翻訳」という文化実践に着目し,多言語・多分野・多ジャンルにわたる一次資料を渉猟しつつ,哲学・文学・社会学・人類学・政治学等の関連理論を横断.西洋中心主義的に編成されてきた既存の研究視角や時代区分を一新し,全く新たな歴史叙述と現状認識を紡ぎ出す,東アジア地域研究の試み.
■著者からのメッセージ
19世紀半ばの「西洋の衝撃」以来,日・中・米三国のヘゲモニーの接点として位置づけられてきた「沖縄」が,今また大きな政治的争点として浮上しています.
しかし,日米の劇的な政権交代や,日中の経済力の逆転を眼前にする現在,この地域に注ぐ私たちの眼差し自体を転換しなくては,その歴史的な意義を正しく捉えることはできないでしょう.
本書では,「近代」という時代や「ポスト近代」の現状の定義を,琉球・沖縄史の視点から,新しく書き換えることを試みました.
金融や情報のグローバル化によって,国境の壁が薄くなり,最強の軍事力を持つ国家の指導者が国際的平和賞を受賞して,政治と道徳とが再び一体化を始めた今日の社会が,西洋産の「短い近代」が訪れる以前の,東アジアに固有の「長い近代」の姿にいかに似ていることか.
もう一度私たちは,「琉球処分」以前の世界へと帰るのか.だとすれば,「民族統一」以降の日琉関係の評価はどう変わるのか.そして,これからの日本にできることはなにか.
歴史研究における「実証」の意義は,本来「マイナーな古文書を活字化する」ところだけに存するものではないでしょう.また思想的な「理論」の意味も,「価値判断の尺度を欧米から直輸入する」ことにあるのではありません.
ある地域の歴史を探求する実践が,同時に世界の現状に対する内発的な思索でもあった時代――歴史学が輝かしかった頃に多くの先哲が遺してくれた,「思想書としての歴史書」の雰囲気を,わずかでも再現できればと願いながら,背伸びをしてみた著作です.
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19世紀,「西洋」は東アジア世界の何を変え,何を変えなかったのか.21世紀,「近代」が過ぎ去った後に,何が残り,何が消えてゆくのか.――20世紀への転換期における琉球弧の体験を素材に,言語行為を通じて同一性を創造する「翻訳」という文化実践に着目し,多言語・多分野・多ジャンルにわたる一次資料を渉猟しつつ,哲学・文学・社会学・人類学・政治学等の関連理論を横断.西洋中心主義的に編成されてきた既存の研究視角や時代区分を一新し,全く新たな歴史叙述と現状認識を紡ぎ出す,東アジア地域研究の試み.
序論 「同じであること」と翻訳の政治
1 同一性と翻訳
2 東アジアの近代と翻訳
3 日琉関係の翻訳――維新以前
第 I 部 「人種問題」前夜――「琉球処分」期の東アジア国際秩序
第一章 外交の翻訳論――F・H・バルフォアと一九世紀末東アジア英語言論圏の成立
1 東アジアの近代と「西洋の衝撃」再考
2 明治初年の日琉関係
3 フレドリック・ヘンリー・バルフォア――知られざる日本公使館員
4 「世界ノ公論」の争奪――英字新聞上の日中間象徴闘争
5 翻訳という齟齬――言説空間の乖離と秩序観の未統一
6 小結 東アジア英字新聞における翻訳と公共性
第二章 国境の翻訳論――琉球処分は人種問題か,日本・琉球・中国・西洋
1 「琉球処分」と「民族問題」の不在
2 一九世紀における近代国際秩序と人種論の位相
3 人種論の交錯と乖離――グラント調停交渉における翻訳
4 東アジア世界の論理と琉球帰属問題
5 小結――ナショナリズムの制度論に向けて
間章α 国民の翻訳論――日本内地の言説変容
1 血統の翻訳論――「誤った自画像」をめぐって
2 家族の翻訳論――「家」の「血」への翻訳
3 人種の翻訳論――「人種」のRaceへの翻訳
4 文化の翻訳論――Culture/Kulturの「文化」への翻訳
5 中間総括――翻訳,媒介,ネットワーク
第II部 「民族統一」以降――「沖縄人」が「日本人」になるとき
第三章 統合の翻訳論――「日琉同祖論」の成立と二〇世紀型支配秩序への転換
1 歴史という劇場と演技と
2 近世――向象賢建議と為朝伝説
3 一九世紀まで――日本内地の史料・研究状況
4 二〇世紀への転換――内地アカデミズムの変容
5 琉球弧の二〇世紀――書き換わる歴史認識
6 小結――民族とはなんであったか
第四章 革命の翻訳論変――沖縄青年層の見た辛亥革命と大正政
1 「日本人になること」と「中華世界からの離脱」
2 第一革命期の『琉球新報』――古典的中国観と傍観論
3 第一革命期の『沖縄毎日新聞』――「革命」への没入とその挫折
4 第二革命期の『琉球新報』――中国観の転換と衆愚政治への警鐘
5 第二革命期の『沖縄毎日新聞』――革命「からの」投企への反転
6 小結――帝国日本という舞台
間章β 帝国の翻訳論――伊波普猷と李光洙,もしくは国家と民族のあいだ
1 琉球弧と朝鮮,二つの「植民地公共性」
2 二〇世紀東アジアにおける民族と国家
3 帝国を翻訳する
結論 翻訳の哲学と歴史の倫理
1 近代
2 現代
3 「ポスト近代」
参照文献
あとがき
1 同一性と翻訳
2 東アジアの近代と翻訳
3 日琉関係の翻訳――維新以前
第 I 部 「人種問題」前夜――「琉球処分」期の東アジア国際秩序
第一章 外交の翻訳論――F・H・バルフォアと一九世紀末東アジア英語言論圏の成立
1 東アジアの近代と「西洋の衝撃」再考
2 明治初年の日琉関係
3 フレドリック・ヘンリー・バルフォア――知られざる日本公使館員
4 「世界ノ公論」の争奪――英字新聞上の日中間象徴闘争
5 翻訳という齟齬――言説空間の乖離と秩序観の未統一
6 小結 東アジア英字新聞における翻訳と公共性
第二章 国境の翻訳論――琉球処分は人種問題か,日本・琉球・中国・西洋
1 「琉球処分」と「民族問題」の不在
2 一九世紀における近代国際秩序と人種論の位相
3 人種論の交錯と乖離――グラント調停交渉における翻訳
4 東アジア世界の論理と琉球帰属問題
5 小結――ナショナリズムの制度論に向けて
間章α 国民の翻訳論――日本内地の言説変容
1 血統の翻訳論――「誤った自画像」をめぐって
2 家族の翻訳論――「家」の「血」への翻訳
3 人種の翻訳論――「人種」のRaceへの翻訳
4 文化の翻訳論――Culture/Kulturの「文化」への翻訳
5 中間総括――翻訳,媒介,ネットワーク
第II部 「民族統一」以降――「沖縄人」が「日本人」になるとき
第三章 統合の翻訳論――「日琉同祖論」の成立と二〇世紀型支配秩序への転換
1 歴史という劇場と演技と
2 近世――向象賢建議と為朝伝説
3 一九世紀まで――日本内地の史料・研究状況
4 二〇世紀への転換――内地アカデミズムの変容
5 琉球弧の二〇世紀――書き換わる歴史認識
6 小結――民族とはなんであったか
第四章 革命の翻訳論変――沖縄青年層の見た辛亥革命と大正政
1 「日本人になること」と「中華世界からの離脱」
2 第一革命期の『琉球新報』――古典的中国観と傍観論
3 第一革命期の『沖縄毎日新聞』――「革命」への没入とその挫折
4 第二革命期の『琉球新報』――中国観の転換と衆愚政治への警鐘
5 第二革命期の『沖縄毎日新聞』――革命「からの」投企への反転
6 小結――帝国日本という舞台
間章β 帝国の翻訳論――伊波普猷と李光洙,もしくは国家と民族のあいだ
1 琉球弧と朝鮮,二つの「植民地公共性」
2 二〇世紀東アジアにおける民族と国家
3 帝国を翻訳する
結論 翻訳の哲学と歴史の倫理
1 近代
2 現代
3 「ポスト近代」
参照文献
あとがき
與那覇 潤(よなは じゅん)
1979年生まれ.東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得満期退学,博士(学術).日本学術振興会特別研究員などを経て,現在,愛知県立大学日本文化学部歴史文化学科准教授.
専攻は日本近現代史で,東アジア世界の経験に根ざした新しい歴史学の語り口を模索している.
共著に『琉球弧・重なりあう歴史認識』,『国際社会の意義と限界――理論・思想・歴史』,論文に「中国化論序説――日本近現代史への一解釈」,「無縁論の空転――網野善彦はいかに誤読されたか」など.
1979年生まれ.東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得満期退学,博士(学術).日本学術振興会特別研究員などを経て,現在,愛知県立大学日本文化学部歴史文化学科准教授.
専攻は日本近現代史で,東アジア世界の経験に根ざした新しい歴史学の語り口を模索している.
共著に『琉球弧・重なりあう歴史認識』,『国際社会の意義と限界――理論・思想・歴史』,論文に「中国化論序説――日本近現代史への一解釈」,「無縁論の空転――網野善彦はいかに誤読されたか」など.